「むぅ……ここにもいない……」
ここノルヴラントで『闇の戦士』と呼ばれる彼は、朝から各地を文字通り飛び回っていた。
子どもでも扱える武器を製作しようとカットリスに相談を持ちかけたあと、クリスタリウムだけでは素材を賄えなかった場合に備えてユールモアのモーエンに協力を仰ぎ、参考のためにと海底に居を構えるグレノルトの元にも訪れ、さまざまな地にて採集までしてきたのである。
そうして陽が落ちたころ、クリスタリウムに戻ってきた彼が誰を探しているのかといえば……。
「あらぁ、闇の戦士様……ずいぶんと大荷物みたいだけれど、転ばないように気をつけてねぇ……?」
「あ、シェッサミールさん! アーキルくんたちを見なかった?」
ちょうど医療館から出てきたシェッサミールを見つけて、荷物を抱え直しつつ声をかける。
子どもたちに武器の完成の目処を伝えるべく街の各所を見て回ったはずだが、どこを探しても見つからないのだ。
「今日は見かけてないわねぇ……ああ、でも……」
「?」
「もうこんな時間だから、明日のほうが会えるんじゃないかしらぁ……?」
「それもそうか……じゃあ、もしみんなを見かけたら、武器はあと一日待ってって伝えておいて!」
「ええ、言っておくわぁ……」
シェッサミールが軽く笑みを浮かべながらそう返すと、青年はまたもや慌ただしそうに工芸館の方向へと走って行った。
完全に彼の背中が見えなくなったのを確認して、シェッサミールは後方へと話しかける。
「……さて、これでいいかしらぁ?」
「ありがとうございます、助かりました……」
「まさか俺たちを探して回っていたなんて……」
「すごいね、びっくりしたねぇ!」
そう口々に言いながら、英雄が探していた子どもたち三人が、医療館の物陰からゆっくりと顔を出した。
「サプライズはバレてしまっては面白くないものねぇ……それに、闇の戦士様を驚かせるなんて、なかなかできる経験じゃないわぁ……」
「おどろくかな? よろこぶかな?」
「俺たちがお返ししたら、さすがにびっくりするんじゃない?」
アーキルらは闇の戦士不在のあいだ、医療館の空いている机を借りて、彼にお礼として渡す花束の包装と手紙を用意していた。
かつて軍備に力を入れていたクリスタリウムにおいて、贈答用の華美な包装紙など用意するのは難しい。使えるのは報告書に使うような紙くらいのものだが、それならば自分たちで模様を描いて華やかにしよう、と提案したのはリキ・ティオだ。
「でもさっきの戦士さま、鞄いっぱいに荷物を持ってた……僕たちがあげる花なんて、あの人にとっては珍しくもなんともないんじゃ……」
「そ、そんなこと……いや、でも確かに。感謝なんて俺たちがする前に、いくらでもされてるかも?」
「戦士さま、お花もらっても嬉しくない……?」
率先して『闇の戦士』に似合うであろう花を選んでいたリキ・ティオの大きな瞳が潤みはじめて、アーキルとエイルエルが慌てふためく。
三人の様子を見守っていたシェッサミールは、すっかり耳と尻尾を垂らしてしまったリキ・ティオの頭を撫でながら優しく説いた。
「贈り物に、優劣なんてないわぁ……私は医療に携わる人間として、たくさんの感謝の言葉をもらってきたけれど……ありがとうって気持ちは、何度伝えられても嬉しいものだわ……」
「で、でもっ! おにいちゃんはきっと、こういうのに慣れて……」
「そうねぇ……最初のうちはありがたいと思ったことでも、それが『当たり前』になったとき、人はわざわざ感謝を言葉にしなくなるわぁ。
あなたたちも、今さらお友だちに毎日、『遊んでくれてありがとう』だなんて言わないでしょう……?」
はっとした様子で三人が顔を見合わせると、シェッサミールはにこりと笑った。
「だからこそ、ちゃあんと感謝を形にするのは大切だと思うわぁ……もちろん、闇の戦士様にだけではなくて、日頃お世話になっている人たちにもねぇ……?」
「……確かにそうだ。ふたりとも、いつも俺といっしょに居てくれてありがとう!」
「そ、それを言ったら僕だって!」
「みんなも、シェッサミールさんも、いつもありがとう……!」
「あら、あらあら……あなたたちこそ、クリスタリウムの……この世界の子として生まれてきてくれて、ありがとねぇ……」
星が見え始めたクリスタリウムの空に、子どもたちの笑い声が響く。明日はしっかり胸を張って英雄に花を贈ろうと、三人は胸に誓うのだった。
***
「というわけで、じゃーん! できました! 種類はちょっと……張り切りすぎちゃったけど……!!」
晴れ晴れとした青空の下、ミーン工芸館の前にはアーキルたちだけでなく、「闇の戦士がなにやら初心者向けの武器を作っているらしい」という噂を聞きつけた人々までもが集まっていた。
そして立てかけられた、生まれたばかりの武器の種類は実にさまざまだ。
元々は斧と杖のふたつを作る予定だったはずだったものの、扱う武器は今から決めず、自分に合ったものを模索してもらいたいという気持ちひとつで、結局複数の武器を作ってしまったのである。
とはいえ、その工程のすべてを彼が手がけたわけではない。工芸館の一角で、寝る間も惜しみ製作に打ち込んでいた彼に感化され、事情を知った職人たちがつぎつぎと手伝いを申し出てきたのだ。
太陽の光を受けて輝く武器たちを、眩しそうに見つめる闇の戦士の肩に、カットリスが労わるように手を置いた。
「自分たちの世界のことなのに、闇の戦士様ばかりに頼っていたら申し訳が立たないからね。少しは力になれたかい?」
「少しなんて……! 俺だけじゃ作りきれなかったよ、ありがとう!」
「あ、にいちゃん! カットリスさん!」
互いを称え合うように頷くふたりの元へ、子どもたちが駆け寄ってくる。その後ろには園芸館と医療館の職員が何人か見えて、英雄は不思議に思いつつも笑顔で彼らを出迎えた。
「待たせちゃったかな、ごめんね。できるだけ急いで作ってみたんだけど……」
「いや、僕たちは全然待ってないというか……こんなに早く完成してびっくりというか……」
「ねえねえ、これ触ってみていい……!?」
「勿論。君たちのために作ったんだからね!」
「やったあ!」
アーキルは目を輝かせ、エイルエルは恐る恐るといったように武器を手に取る姿を、ごくりと唾を飲み込みながらリキ・ティオが見守る。
そして武器を握った彼らだけでなく、製作した張本人である闇の戦士も含め、その場にいる全員が息を呑んだ。
「す……すごい、軽くて持ちやすい!」
「でも、軽いけど軽すぎないっていうか……ちゃんと手に馴染む感じがする……!」
子どもたちが喜ぶ光景に、英雄の顔がほころぶ。彼を手伝った工芸館の職人たちも一様に胸を撫で下ろしているところに、後ろから足音も立てずに丸い影が寄ってくる。
青白い光を瞬かせるそれは、手工科にていつもくるくると回りながら浮遊しているのを見かける実録システムだった。そしてその相棒であるトゥナが、垂れた耳をぴょこぴょこと揺らしながら追ってきた。
「トゥナ、キテ! スゴイ! スゴイ!」
「ああ、ちょっと……! ごめんなさい、この子、やっぱりあなたの作るものが大好きみたいで……」
「ありがとう、そう言ってくれると嬉しいな。実録くんも、材料の記録見せてくれてありがとね」
「オレイニ、タタイテ!」
「いや、叩かないけどね……?」
実録システムからの奇妙なアピールにおろおろとしている英雄を見たのか、近くから笑い声が聞こえた。トゥナの耳がぴくりと向いた先には、声の主が立っている。
「どうも、闇の戦士様。機械にもモテモテだなんてすごいね! ところで、ウチの金属はどうだった? 改良の余地とか、まだある?」
快活そうなその声は、練鉄科のイオラのものだ。後方に並ぶ黒鉄工房の面々も、顔に疲れこそ見えるものの活力に満ちている。
たった一日で複数種の武器を作るなどという無茶を叶えたのは、鉄鋼の扱いに長けている彼らの功績も大きい。
英雄はそのありがたみを噛み締めつつ、イオラの問いに答える。
「今のところは大丈夫かな。前にオンド族の漁師さんに作った銛があったでしょ?
あれと同じ、レイクランドでも採れる霊青材を選んだんだけど……他に良さげな素材があるなら、変えてもらえると嬉しいな」
「まっかせて! まあ正直、これ以上のものに出来る自信はないけどね……」
「あの、に、にいちゃん……!」
そうして談笑している英雄のもとに、アーキルとエイルエルが駆け寄ってきた。
彼らの横には、先ほども子どもたちに同行していた園芸館と医療館の職員たちの姿もある。リキ・ティオの小さい身体は、どうやら大人たちのなかに紛れているようだ。
ふたりは武器を握って興奮していた先ほどまでの様子に反し、今は戦地へと赴く前の兵士がごとく、緊張の色を見せて身体をこわばらせている。その様子に英雄は首を傾げつつも、跪いて目線を合わせてやる。
「ええと……どうしたの?」
「俺たちどうしても、わ、渡したいものが……あって……」
「闇の戦士さまにとっては、珍しいものでもなんでもないかもしれないけど……リキ・ティオ!」
「う、うん!」
大人たちの身体をすり抜けるように出てきたリキ・ティオは、何かを後ろ手に隠している。
それまで垂れていた耳がぴこんと跳ねたかと思えば、彼女は力強い意志の光をその目に輝かせながら、隠していたものを英雄の眼前に差し出す。
「あのね、あのっ……これ、闇の戦士さまへのお礼……!」
色とりどりの何かが視界いっぱいに広がり、がさりと音を立てたかと思えば甘い香りが漂ってくる。
それが花束であると気づいた青年の瞳が、こぼれるかのように見開かれた。
「これ、は……どうしたの……?」
「俺たち、ずっと考えてたんだ。にいちゃんが武器を作ってくれるって言うから、何かお礼をしたいって」
「けど、僕たちにはお金がない。それに世界中を旅して回ってる闇の戦士さまにとって、僕らが集められるようなものには目新しさなんてない……」
「でもね、お礼は気持ちがだいじって、シェッサミールさんが言ってた! だからわたしたち、お花をあげたくて……!」
微かに手を震わせるリキ・ティオの姿に、英雄がどう声をかけようか思案していると、園芸館の職員とシェッサミールが彼女の後ろからやってきた。
「だから私たちが、彼女たちの手助けをしたんです。
無の大地から持ってきて分球した花を、私たちが未来へ歩んでいる証としてプレゼントすればいいんじゃないかって」
「無の大地って……! そんな貴重な花、俺が貰っちゃ……」
「いいえ、闇の戦士様。これは貴重なものじゃないんです。
私たちがこれから、どんな大地でも当たり前に咲く……『貴重ではないもの』にしていく花なんですよ」
慈しむように言われたその言葉に、闇の戦士と呼ばれた彼は、何かに気付かされたようにリキ・ティオを見た。
花束を握る彼女は、依然として瞳に輝きを湛えながら青年を見つめている。
「それにねぇ、包装紙だってその子たちが手がけたのよぉ……? どうしてもあなたにお礼がしたいから、誰よりも心を込めてね……?」
「シェッサミールさん! あ、もしかして、昨日どこ探してもみんながいなかったのって……」
「ふふ……さて、どうかしらねぇ……」
リキ・ティオの頭を撫でながらそう言うシェッサミールに、青年はやられたなぁ、と苦笑した。
そして改めて差し出された花束を見て、彼は再度驚くことになる。
「もしかしてこれ……百合の花?」
「う、うんっ。わたし、おくすりのお勉強をしていて、図鑑をたくさん見るようになったの。
そしたらね、花言葉っていうのがあって……『旅の無事を願う』って意味があるんだって」
「……!!」
それは、原初世界ではニメーヤリリーにつけられた花言葉だ。
十二神信仰などなく、育つ植物も異なるこの世界で、近しい花に同じ花言葉がつけられている。そんな奇跡を前に、今度は英雄の手が震えた。
人々は世界がいくつに分たれようと、同じものを愛し、同じように誰かへと願いを捧げるのか。
言葉を紡ごうとした口がわななき、声は詰まって出てこない。
彼は自らの表情を隠すように、花束を差し出すリキ・ティオごと、アーキルとエイルエルたち三人を抱きしめた。
「わっ……!」
「ちょ、ちょっと、にいちゃん!?」
「ど、どうしたの?」
「こんなに素敵なお礼、貰えるなんて思わなかった……!」
口々に声を上げる子どもたちに構わず、青年は抱き締める腕に力をこめる。その頬に光るものが伝ったのを、彼らを見守る大人たちだけが見ていた。
「……なにも、感謝の気持ちを伝えたいのはこの子らだけじゃないんだ。
世界に夜を取り戻してくれたどころか、私たちの『この先』まで考えてくれたこと……感謝しても、したりないよ」
「その花束は子どもたちだけじゃなく、クリスタリウム……いや、この世界からの感謝の気持ちとして受け取ってほしいな」
「ありがとう、闇の戦士様!」
「も、もう……やめてよ、これ以上泣かせないで……」
「戦士さま、泣いてるの?」
「なっ泣いてない! 泣いてない!!」
誰がどう見ても泣いているというのに、涙声で取り繕う『闇の戦士様』の姿がおかしくて、工芸館が温かな空気に包まれる。
それまで自分たちのプレゼントに不安を抱いていた子どもたちは、そんなこともすっかり忘れて、英雄の腕の中で笑い合っていた。
***
「戦士さま、いっちゃったね」
円蓋の座の二階、真正面にクリスタルタワーを望む場所から、アーキルらは夜空を眺めている。
闇の戦士が作ってくれた武器を一通り試し、軽くではあるものの戦い方のアドバイスを受けたのも束の間、彼は自らがもたらした夜闇とともに、元の世界へと帰っていった。
今となっては昼間の喧騒が嘘のように、二階から見下ろすエクセドラ大広場には静寂のみが佇んでいる。
「でもにいちゃん、前より元気になってよかったよね。空が真っ白じゃなくなったあとも、なんだか具合悪そうだったもん」
「うん。シェッサミールさんが、こっそり黒いシロップ量産してたくらいだもんね」
「…………」
手すりを握りながら珍しく黙りこくっているリキ・ティオに気づいて、エイルエルが優しく声をかける。
「……どうしたの? もう帰る?」
「ううん、ちがう……わたし、思ったの。あのときの戦士さま、さみしかったのかなって……」
「寂しい?」
小さく、それでもしっかりと頷いて、リキ・ティオはクリスタルタワーを見上げる。
その隙間から見える白くて丸い月は、蒼く光る塔に負けじと輝きを放っている。
「戦士さま、すぐクリスタリウムからいなくなっちゃうから、どこに行ってるのか職員さんにきいたことがあるの。そしたらね、ひとりでよく海の底に行ってるんだって」
「……なんで、そんなところに……?」
「わかんない。でもね、海の底ってつめたくて、すごくすごく暗いんだって本で見たの。だから、そんなところにずーっといたら、きっとさみしくなっちゃうな……」
塔の光を反射していた彼女の瞳が伏せられて、長い睫毛の影がやわらかな頬に落ちる。
力なく手すりを握るリキ・ティオの小さな手に、アーキルが自らの手を重ねた。
「……それじゃあさ、お星さまにお願いしようよ。戦士さまが、向こうで寂しくありませんようにって」
「おほしさま?」
リキ・ティオが首を傾げると同時に、アーキルの言葉を聞いたエイルエルが夜空を見上げて、ふたりに語りかけるように話し始めた。
「僕も、モーレンさんから聞いたことある。昔の……光の氾濫が起こる前の人は、お星さまにいろんなことを願ってたんだって。
亡くなった人の魂が願いごとを叶えてくれるとか、神様が祈りを聞き入れてくれて叶うとか、いろいろ説はあるけれど……」
「それに、空ってどこにでも繋がってるんだって! もしこの世界と闇の戦士さまの世界が繋がってるなら、願いごとだって届くはず……!」
「ほ、ほんとう……!?」
「絶対にそうだって保証はないけど……きっと戦士さまに届くよ!」
「じゃあわたし、いっぱいお星さまにおねがいする! ええっと、戦士さまがさみしくなりませんように! ケガとかしませんように! それから、それから……」
すっかり元気を取り戻して耳をぴこぴこと跳ねさせるリキ・ティオに、アーキルとエイルエルは安堵しつつ顔を見合わせて笑った。
「俺たちもお星様に祈ろう。にいちゃんだけじゃなくて……向こうのみんなも、水晶公も、あっちで元気でいますようにって」
「うん! ……ところで、水晶公といえば……ムーンライトグッピーって魚、知ってる? あれの名前をつけたのはね……」
子どもたちが笑い合う空に、もう夜を塗りつぶしてしまうほどの光はない。
今はただ、優しい月光と瞬く星々だけが、世界中を見守っている。