暁月のフィナーレ パッチ6.0 87クエストまでのネタバレがあります
※エメ←光♂
「ああキミ、ちょっといいかな」
「?」
アナグノリシス天測院に戻り、暴走した炎狼リュカオンの一報を受け現地に向かおうとするセイアッドを、ヒュトロダエウスは呼び止めた。
ヘルメスを追い先に行ったエメトセルクの遠くなる背中を見つつ、眼前に手をかざし何か呪文のようなものを唱える。
立ち止まって振り返り、その不思議な行動にセイアッドが首をかしげていれば、彼の耳にとんでもない言葉が飛び込んできた。
「……キミ、エメトセルクのこと好きだよね?」
「へぇっ!?!?!?!?」
分かりやすいくらいに動揺を見せて体を跳ねさせるセイアッドに、ヒュトロダエウスは肩を震わせながら笑った。
「フ、フフ……大丈夫、さっき秘匿のイデアを使ったから、向こうには聞こえてないよ。
いやぁ、ずいぶんと彼に熱心な視線を送っているものだから……もしかしてそうなのかなと思ってはいたのだけど。
やっぱり、そうなんだね」
「え、エメっ、バレっっ、」
「ああ、彼にバレてるかどうか、かい? あれは気づいてないと思うよ?
彼、あれでいて結構モテるんだけれど……その好意のどれもに気づいた試しがないよね」
「そ、そうなんだ」
どこかほっとしたような、しかし寂しそうに眼を伏せる彼を見て、ヒュトロダエウスはなるほど、と口元に手を添える。
ここまでの決して短くはない道中で、セイアッドの癖についてはだいたい分かってきていた。
無邪気な様子で素直に喜びを表現する一方、なにか後ろ暗い気持ちや言えないことがあると、とっさに目を伏せてうつむき、その顔を曇らせる。
その長い前髪で表情を隠そうとするのは、おそらく彼の癖なのだろう。似た魂の色と癖を持つ友人の姿を脳裏に描きつつ、ヒュトロダエウスはいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「いま『エメトセルクはモテるんだ』、って思ったでしょ」
「えっ!? 声に出してた!?」
顔どころか耳まで真っ赤にして口をぱくぱくとさせる姿に、先刻ヘルメスと会った際に見たアンビストマを重ねながら、ヒュトロダエウスはフフ、と含み笑いをして二の句をつぐ。
「キミ、ほんっと分かりやすくていいね!
こんなにもバレバレなのに本人は気づかないだなんて、妬けるなあ」
「妬ける……?」
「いやいや、こっちの話」
隣にいる自分を差し置いてエメトセルクへと熱視線を送るセイアッドを見ていると、その対象に妬けないというのは嘘になる。
愛玩用に作られた、かわいらしい創造生物が、自分を無視して隣にいる友人にだけひどく懐いているのを見ているようなものだ。
ただでさえ愛する友人の魂と似通ったものを身のうちに宿し、それでいて希薄すぎるエーテルを視ていれば、愛着が湧かないというのは到底無理な話であった。
「で、どうしてキミはエメトセルクが好きなのかな? もしかして一目惚れだったり?
それとも、キミが喋れない話に関わってくる?」
「あ、それは……ええと……」
「答えづらいなら、無理に答えなくてもいいよ。ワタシは職務上、どうしても物事の追及をしたくなる
まあ、エメトセルクも似たような人種なんだけど。
だからこそ、彼が必要以上にキミのことを問いたださないのは、キミに対する優しさの裏返しさ。
アゼムにそっくりっていうのも、理由のひとつだろうとは思うけれどね」
「アゼム……」
その名を聞いて、セイアッドが顔を上げる。
「ヒュトロダエウスたちが言う、その……アゼムって人が、エメトセルクにとって大切な人っていうのは、知ってる」
「おや、それは驚きだ! いったいそれをどこで……いや、言えないんだよね?」
こくりと頷いて、なにかを抑えるように、右手で胸元の布をくしゃりと握る。
その手が少しだけ震えているのを見て、ヒュトロダエウスは怪訝そうに眉根を寄せた。
「言えないから、この想いは星海まで持って行くって決めてるんだ。エメトセルクに大切な人がいるっていうなら、なおさら……
これをあの人に伝える資格は、俺にはないから」
生まれたての創造生物のような不安定さと、星に還ることを選んだ人の穏やかさが同時に存在しているような彼の雰囲気に、ヒュトロダエウスまで呑まれそうになった。
ゆらゆらと揺れて、時折欠けゆくそれは、木漏れ日にも蝋燭の火にも似ている。
セイアッドは目を閉じながら薄く、長く息を吐いて、ゆっくりと息を吸った。それを数回繰り返して、ようやく彼の手の震えが止まったようだ。
その瞬間、アナグノリシス天測院からノトスの感嘆に向かって、一陣の風が吹き抜ける。
エルピス職員の制御下で完璧に計算されたこの環境は、ここに存在する万物にとって快適に思えるよう生成されているはずだ。しかし今のヒュトロダエウスとっては、どうしてかそれが、初めて居心地の悪いものに感じられた。
そうして風に揺らされたふたりの髪が落ち着いたころ、セイアッドが口を開く。
「……あの人の近くに居られるだけで、あの人が生きているのを見られただけで、俺には過ぎた幸せだよ」
たくさんの涙を湛えて、それが零れ落ちる瀬戸際で、彼は満面の笑みを浮かべながらそう言った。
ヒュトロダエウスはそんな彼の顔を見て、何も言うことができなかった。
「さて! 俺もリュカオンを追いかけなきゃ! ヒュトロダエウスも遅れないで来てね!」
後ろを向いてぐず、と鼻を鳴らしながら努めて明るく振舞う彼の背に苦笑する。
この不安定で不器用な存在を、どうして助けずにいられようか。
ヒュトロダエウスは、プロピュライオンにて存在の希薄な彼を視たときのことを回想した。
透明な彼の目線の先にいたのは、間違いなくエメトセルクだった。
まるで探し人を見つけたような、少しだけ縋るような目をしていた彼がどうにも無視できなかったから、どうせならとヒュトロダエウスはエメトセルクを巻き込んだのだ。
視えてない、などと分かりやすい嘘をつくエメトセルクの言葉に、どこか諦めた様子で視線を落とした彼の姿は、まさしく主を見失った使い魔のよう。
確かにエメトセルクの言うとおり、得体の知れないものに干渉するリスクはあるのかもしれない。しかし助けてやりたいという情が湧いてしまったのは――彼の内にある魂の色が、友人のそれとそっくりだったというのはそれなりに大きな理由だが――彼からにじみ出る人間性によるものが大きいのだとヒュトロダエウスは思う。
……エメトセルクがなんだかんだと言いながら、存在の補強だけでなく大きさの調整までかけてやっていたのは、間違いなくそれだろう。
(無自覚な優しさって、ときに残酷だよねえ)
エメトセルクが否定するような台詞を発すればつらそうに目を伏せ、協力の姿勢を見せれば嬉しそうに目を瞬かせる彼の姿を思い返せば、同情もするというものだ。
理由は分からないが、セイアッドはエルピスに来る前からエメトセルクのことを知っているし、好いてもいる。もし彼が本当にアゼムの使い魔だったなら、そういう指向性を持つものとして作られたのだと納得できるだろう。
しかし自分の目から視ても、エーテルが希薄にしろ、彼はれっきとした『生きている人間』だった。
そんな存在が、面識のないはずのエメトセルクを容姿と声で判断し、「生きているのを見られただけで幸せ」とまで言うのは、普通ではない事情があるに違いない。
「うーん……エメトセルクの熱狂的なファン、とか?
彼、自覚ないけれど、そういうタイプの人に好かれやすいしなあ……」
思考を口にしてはみたものの、どうにも腑に落ちるものがない。
そうしているうちに、先にリュカオン探しへと向かったセイアッドの姿がすっかり遠くへあることに気づく。
行動力と思いきりの良さはやっぱりアゼムに似てるなあ、と思いながら、ヒュトロダエウスは彼の後を追った。
――そしてヒュトロダエウスの抱いていた疑問は、すぐに明かされることになる。
「ずいぶんと侮ってくれたものだな……!」
偶然再会したヴェーネスに連れられ、彼女の間借りしている館のなかで、エメトセルクたちは衝撃的な『未来』の話を聞いた。
内容こそ突飛な話ではあったが、ヒュトロダエウスにはセイアッドが嘘をついているようには視えなかったし、そういうことをする性格ではないことも理解しているつもりだ。
判断材料が少なすぎて想像すらつかない部分はあるが、なにしろ作り話にしてはずいぶんと具体的すぎる。
しかしその『未来』の話は、エメトセルクにとっては到底受け入れられるものではなかったらしい。
ヒュトロダエウスは語気を荒げて館を出ていく彼を追おうとして、語り手であるセイアッドが心配になり、気取られないよう一瞬だけ彼の顔をちらりと盗み見る。
しかし彼は想像に反し、意外にも毅然とした様子でエメトセルクが出ていった方向を見つめていた。
(おや、大丈夫そう……? なら、彼を追うのは行き先が視えるワタシの役目だね)
ヴェーネスが彼についているならば問題ないだろうと踏み、ヒュトロダエウスはエメトセルクのエーテルを追い始める。
――館の扉が閉まった直後、その場に残された飲みかけのティーカップを見て目を伏せたセイアッドの表情を、ふたりが知ることはなかった。
***
ポイエテーン・オイコスにいる職員たちからヘルメスとメーティオンの話を聞き、手分けして探りを入れているヴェーネスに新しく情報を共有しに行こうとして、セイアッドはひどいめまいを感じた。
エメトセルクに補強してもらっている以上はエーテル不足に陥っているわけではないはずだが、自分たちの時代の数倍どころではないエーテルを有している人や創造生物と関わっていたせいなのか、なかばエーテル酔いに近い症状が現れたらしい。
いくら心強いヴェーネスが協力してくれてるとはいえ、この時代にやってきたそもそもの理由であるヘルメスたちは別行動になってしまったし、エメトセルクに至っては失望されてしまった。そんな彼を追ったヒュトロダエウスとも、再会できる保証はない。
ひとりになってみて、セイアッドはエルピスに来てから初めて、どうしようもない不安に襲われた。
喉元から、ひゅ、と細い音が鳴るのを感じて、急いで誰もいない建物の裏に身を隠す。エルピスの人々は優しいから、体調の悪そうな自分を見たら手を差し伸べにきてしまうだろう。
いつもならそれをありがたく思えるが、今はどうしても、人に迷惑をかけたくなかった。
草むらに座り込み、余った袖を口元に押し当てて、努めてゆっくりと呼吸をする。過呼吸が起きそうなときに編み出した、自分なりの対処法だ。
その押し当てたローブは、ヒュトロダエウスが作ってくれたものだ。自分を構成するエーテルの中にもエメトセルクのそれを感じて、自分はここまであのふたりに支えられてきたのだと、改めて実感する。
それはエルピスにくる以前……第一世界の海底に揺蕩う、あの幻影の都にたどり着いたときから、彼らには助けられてばかりだった。
もちろん、あの場所はエメトセルクの魔法によって作られた偽物の街であり、セイアッドにアゼムのクリスタルを託してくれたヒュトロダエウスだって幻影のうちのひとつだ。
エリディブスと対峙したときに感じたエメトセルクのエーテルすら、あれが本人であったという保証はどこにもない。
けれどエルピスに来て、本物のふたりの優しさに触れて、第一世界で出会った彼らと同一視をしてしまった。それが大きな間違いだったのだ。
「あのときは仕方なかったけど、二回も否定されるのは、さすがにキツいなぁ……」
二度と邪魔をするな、と自分を見下ろしてそう吐き捨てたエメトセルクに、光を溢れさせた自分を化け物だと断じたかつての彼の姿が重なった。
光が滲んで白んだ視界越しに見たあのときのエメトセルクが、いったいどんな顔をしていたのかはよく見えなかったが、声色から判断して嫌悪に満ちていたのだろうと思う。
あれはあれで、彼の期待に応えられなかったことを心苦しく思いつつも、仕方がないと思える自分がいた。しかし今回は、光の使途と闇の使徒という立場の差もなく、ともすれば対等な人間として彼に向き合える機会だったのだ。
だから、今度こそ仲良くできると思って――そうして、また間違えた。
彼はこの時代の真なる人で、自分はどう取り繕っても、分かたれた先にあるなりそこない。対等な存在になれるなど、思い上がりも甚だしい。
そうやって自分を嗤おうとして、ローブの袖口にぽたぽたと水が落ちてきた。
雨が降ってきたのかと空を見上げるも雲はなく、西陽が少しずつ青い空を橙に染めていくばかりである。おかしいな、と思ってもう一度下を見ると、その拍子にまた水滴が落ちていくのが見える。
そうしてやっと、自分が涙を流していることに気がついた。
「は、はは、やだなぁ、もう……っ、ひっ……く、ぅ……!!」
拭っても拭っても落ちていく涙が呼び水となって、さらに溢れ落ちていく。
声を押し殺して泣くことにすっかり慣れたはずなのに、ひっきりなしに流れゆく雫とともに声が漏れ出そうになった。
止まれ、止まれ。そう念じれば念じるほど感情があふれて止まらなくなる。こんな状態ではとてもエルピスの調査などできないし、ヴェーネスを待たせているかもしれないのに、焦りが新たな涙を生む。
――怖い。
終末が怖い。こうしている間にも、原初世界で誰かが命を賭して戦っているのが怖い。新たな偽神獣が生まれる可能性が怖い。元の時代に戻ったとき、ハイデリンが無事である保証はないのが怖い。そもそもこのエルピスで、終末の原因が見つからなかったときが怖い。想いを託してくれたみんなに失望されるのが――
そうして絶望に襲われそうになった瞬間、セイアッドの肩を何者かがつつくのを感じて、思わずその感触に顔を上げる。
「っ……え、ええっと……?」
ぼやけた視界に見えたのは、エルピスに生きる創造生物たちだった。どうやら肩をつついたのは、傍らに佇むコロポックルの葉っぱだったらしい。
エケボアにスプリガン、ヘッジホッグやゲイラキャット……エルピスでは異なる名称のようだが、原初世界や第一世界で見かけた生命が、セイアッドの悲しみを感じ取ったのか寄り添ってきたようだ。
ふと、エーテルが薄いとデュナミスを感知しやすいという、エンテレケイアに関する説明を聞いたときのことを思い出す。
メーティオンがセイアッドを指して「エーテルが薄い仲間は初めて」と言っていたとおり、ここの創造生物たちはエーテルが濃いほうなのだろう。それでもヒトのそれには及ばないからこそ、揺れ動いたデュナミスを感知したのかもしれない。
そんな彼らが愛おしくなって、セイアッドは創造生物たちをぎゅっと抱き寄せた。
「……温かい…………」
彼らには魂がないが、確かに生きているのだ。
セイアッドは、この星に生きる存在が、そしてこの星が、たまらなく大好きだった。彼らのためなら、いくらでも頑張れる。
その感情を、絶望を前にして忘れかけていた。そんな自分を恥じて、ぱしんと自らの両の頬を叩く。
「よーし、頑張らないと……!!」
とくに寄り添ってくれたコロポックルをひと撫でして、セイアッドは近くの水場へと歩き出す。涙に濡れた顔をヴェーネスに見られるのは情けないし、ちょっと恥ずかしい。そう思いながら川岸にたどり着いて、顔を洗うべく水面を覗き込んだ。
(うわー、ひどい顔)
そこ映った自らの顔に、セイアッドは苦笑した。それをかき消すように川に手を入れ、水を掬い、ぱしゃりと顔にかける。
エルピスの水は清く涼やかで、心に滲んだ黒い感情ごと流されていくような心地だった。
息をひとつ吐き出し、感情が落ち着いたのを実感して、まだ背後に何らかの存在を感じる。振り向くとそこには先ほどまで寄り添ってくれていた創造生物たちが列をなしていて、セイアッドはびくっと肩を跳ねさせた。
「あ、あの……言葉通じるか分かんないけど、俺はもう大丈夫だから……
みんなご主人とか担当の職員さんがいるんだよね? 元の場所に戻っていいから、ね?」
創造生物が集まる先にいたのは、今話題のアゼムの使い魔でした……など、嫌でも目立つに違いない。変な注目を集める前に、セイアッドは建物が立ち並ぶ方角を指して帰還を促した。
そうすると何かを理解したのか、たちまち創造生物たちが思い思いの場所へと戻っていく。これはこれで目立つなあと苦笑いしつつ、セイアッドは安心して一息ついた。
――合流したヴェーネスに、彼が赤く腫れた瞼を察されるのは、また別の話。