漆黒のヴィランズ パッチ5.0 77クエストおよび
暗黒騎士ジョブクエスト70までのネタバレがあります
『悪くない奇跡』が起きた日から、しばらくの時間が経った。
フレイ・ミスト――英雄の影身は、あれからずっと、穏やかな闇の中で目を閉じながらまどろんでいる。
かつては英雄の負の感情を司る影として、無視され続けている痛みと悲しみに気付いて欲しいと願ったあげく暴挙に出たこともあったが、今やあのような激情は文字通り影を潜めていた。
時折、彼を通じて『外』の様子や彼の負の感情が伝わってくることはある。けれど、もう彼はありふれた奇跡に背中を押されて進んでいくのだと、既に自身に示したのだ。
だから、彼の決定には異を唱えないし、たまに感じる彼の苦しみも、彼が乗り越えるものとして許容することにした。
帝国との全面戦争になったときも、第一世界にまで召喚されてしまったときもそうだ。
――だって、僕は君の強さを信じることにしたから。
相変わらず『英雄』というものを便利な道具として扱う世界に少しばかりの憤りを抱きつつ、それでもそんな闇を跳ねのけようとする彼と、彼の信じる仲間の強さを信じていた。
そう、たった今、このときまでは。
大罪喰い、と呼ばれる第一世界における天敵を英雄が倒し、光あふれていた空に夜のとばりを降ろしたころから、その予兆はあったのだ。
影身の存在している場所……英雄を構成するエーテルの内側、魂の核とも言える場所に、彼の言葉が聞こえてこない。
彼が時折抱いていた不安や恐怖の感情が伝わってこないのは良いことだ。それだけ心が安定している証拠であるし、彼の平穏を脅かすものが存在しないことを意味するからだ。
しかし、喜びなどの感情すら聞こえてこないのは、いったいどういうことだろう。
まるで水の中にいるかのような、耳鳴りが収まらないときのような、外界から切り離されてぼうっとする感覚が、いつしか影身を包むようになった。
しかもその感覚は、英雄が大罪喰いを倒すたびに強くなっていく。三体目の大罪喰いを倒したころには、いつも外から聞こえていたはずの会話が途切れとぎれになって、四体目を倒したあとにはそれすらも消え去ってしまった。
強いエーテルの供給でもない限りひとつの存在として確立できない影身は、ぼんやりとした意識に活を入れて、どうにか目覚めようと試みる。
(……眩しい)
ここにあるのは穏やかな闇、だったはずなのに。
そもそも主に強く願われなければ眠るだけの存在だった影が、こうして意志を持って目覚めようとしていること自体が異常だった。
つまり、きっと彼の身に何かある。急がなければ。その焦りが、ついに閉じていた影身のまぶたをこじ開ける。
そうして目に映ったのは――。
「…………なん、ですか、これ」
何も見えなかった。いや、「見えない」というのは正しくない表現だ、と影身はどこか冷静な頭で思う。
白い塗料を一面にぶちまけたように、見渡す限りの向こうまで、真っ白く塗りつぶされているかのようだった。
幾度となくまばたきをしても尚消えないその白に恐怖を感じて、この空間で唯一の影は本能的に両手剣を顕現させる。
『暗黒』の力を籠め、薙ぎ払うように思い切りその刃を振れば、赤黒い一閃が白を引き裂いた。そこは新しい傷口のように、ぱっくりと横長く穴をあけている。
そしてその穴の向こうに見えるのは、本来ここにあるはずの深い闇。
「これは……ッ!」
まるでその空間を縫合するかのように少しずつ戻ろうとする白を見て、影身は真っ先に思い至った。
これは光だ。あのどこまでもお人よしで心優しき英雄が、世界を救うためにその身の裡へと取り込んだ、光。
彼の魂の中心であるこの場所が、これほどまでに光に溢れているということは、命の根幹を成すエーテルが光に侵されきっていることを意味している。
『暗黒』の力によって空間に傷が入ったのは、光属性と相反する闇属性のエーテルによって相殺したからだろう、と影身は理解した。
しかし渾身の力で穿ったその風穴も、あと少しで再び白へと塗りつぶされようとしている。
「君の気配がしなかったのは、この光が邪魔をしていたから……!!」
影身は周りを見渡して、まだ光に侵されていない場所を探す。
自分の居場所が、そして主の存在が消え去りそうなその恐怖に手を震わせながら、顕現させた大剣を強く握り直した。
「……あそこだ」
少しだけ闇に近い場所を見つけて、英雄の影身はひた走る。
その最中に聴こえてきたのは、ぱきり、ぱきりと何かが割れるような音。
薄氷を踏んだときに鳴るようなそれはどこか、雛が卵から孵る音に似ているな、と思った。
そうして、どれくらい走っただろう。終わりの見えない白から逃避するように辿り着いた光の弱い場所で、微かに人の声がする。
『………、………………、…………』
「……! 我が主、聞こえていますか!? いったい何が……どうか、返事を!」
久しぶりに感じた彼の気配に喜びを感じつつ、影身は魂の外側に向かって叫ぶように語り掛ける。
どうか想いだけでも伝わったらいい、君が無事でいてくれたら。そんな望みは、当の本人の声によって打ち砕かれることになる。
『っは、はぁ……っ、はぁ…………』
『いた、い……いたい、苦しい、痛い……!!』
『なんで……どうして、こんな……っぐ、うぅ……っ』
英雄のただただ苦しむ声に、影身は呆然とする。
微かに感じ取れた『外』の状態は、本来彼が穏やかに過ごせるはずの屋内であって、目の前に敵がいる様子も、何か怪我をしている感覚もない。
なのに彼は、寝台の上でたったひとり、自身を襲う痛みにひたすら耐え続けていた。
『こわく、ない。大丈夫……こんなの、いたくない……痛く、っが、ぁ……ッ!!』
痛い、苦しい、怖い、こんなはずじゃない、これは一体何だ、もしこれが溢れたら、まさか自分は――?
これまで光に邪魔されて届かなかった彼の感情と言葉が、雪崩のように押し寄せてくる。
怖くない、わけないでしょう。英雄の影身は歯噛みする。人に頼まれていつものように世界を救って、その果てに手に入れたのは身体を蝕む苦しみだ。
だというのにあの英雄は、自身を蝕む痛みに耐えながら、理不尽に襲い来る苦しみを受け入れようとしていた。
……かつて、彼に問うたことがある。
『僕を殺して世界を護るか、世界を護って|僕《キミ》を殺すか!』
結局彼が選ぶのは、自分の身も心も殺して、世界を護る選択肢だった。
「……君はいつもそうだ。何でもないようなふりで誰にも相談しないで、ひとりで痛みを抱えようとする」
だから僕は、その痛みに気付かせようとしたのに。英雄の影身は自嘲する。
自分の傷の存在を自覚させられた彼は、その痛みをなかったことにするのはやめてくれた。苦しみも、悲しみからも目を逸らすのではなく、ともにつれていくのだと約束してくれた。
それに安心していた自分も悪いのだろうか。そうして英雄は、自身の痛みを自覚しながら、自覚したからこそ、仲間の前ではその傷を隠すようになってしまった。
とても痛くて、苦しいけれど。せめて大好きな人たちには心配をかけさせたくない――。
英雄の、あまりにも純粋で悲痛な想いが流れ込んできて、影身は心臓を抉られるかのような感覚に陥った。
「……ねえ。みんなを護ろうとする君を、いったい誰が護ってくれるというんですか」
似たような感情を以前、儀式と称して当人に流し込んだ記憶がある。あの声を聴いたとき、彼は何を思ったのだろう。
また奇跡でも起きない限り、彼に直接訊くことはもう二度と叶わないだろうけれど。
――誰をも護る彼を護るのは、心に還った影の役目だ。
光の弱いこの場所に、なにかが割れるような音とともに、白い波が押し寄せてくる。話に聞いていた光の氾濫とはきっとこのような光景だったのだろうと思いながら、影身は凪いだ瞳でそれを見つめた。
「ここは僕と……彼の居場所です。お引き取り願いましょうか」
影は独り、溢れる光に向かって大剣を構え直す。
この抗いが、少しでも君の力になるのなら――。そんな想いを乗せて刃を振り上げれば、真っ白だった空間に大きな裂け目が現れた。そこから涙が流れるかのように闇が溢れ出し、足元を這いながら塗りつぶしていく。
辺り一帯が影に包まれたかと思った瞬間、地面に血の色をした魔法陣が昏く輝いた。それは盾を棄てた暗黒騎士が、愛するひとりを護るために生み出した魔法。
(……どこまで持つかは、分かりませんが)
黒き光は瞬く間に拡がり、そして一点に収縮する。「彼」の魂の根幹をなす場所を、繭のごとき闇が包み込む。
揺り籠を壊さんと襲いくる光の波は、繭にぶつかると最初から存在しなかったかのように霧散していった。
光が強ければ強いほど、闇は深くなるものだ。それに光というものは、決して影を侵せない。
たとえその場凌ぎにしかならないと分かっていても、痛みと苦しみを抱えていくと決めた「彼」のために、英雄の影身は果てのない孤独な戦いに身を投じる。
***
「…………?」
朝起きて真っ先に英雄が感じたのは、昨日まで久しく忘れていた身体の軽さだった。
白んだ視界は相変わらず。けれど少しだけそれが薄まったような気がして、ぱちぱちと何度かまばたきをする。
光とは、停滞の力である。それを取り込んできた身体は徐々に停滞へと向かっているのか、動かすにも億劫で体温すらヒトのそれから離れつつあった。しかし今は、かじかんでいた手に熱が多少戻りつつある。
原初世界に戻って対処法を探そうと考えていた折に復調の兆しが見え、英雄は内心喜んだ。それに、現在協力関係を結んでいるエメトセルクは、自分に何かを期待しているらしい。
もしこのまま身体が元通りになって、世界に闇を取り戻しきったとき、彼はアシエンとしての使命や考えを改めてくれるだろうか。戦うばかりでなく、ほかに道があるならともに歩めはしないだろうか。
そんな希望を近くに感じて、心が少し軽くなった。
残る大罪喰いは一体。第一世界を救うに至るまであと一歩。その一歩がどれほど遠いものだとしても、これまでだって大きな歩みを積み重ねてきたのだ。
だから今回も大丈夫だと、英雄は自室の扉に手をかける。近ごろ重くて仕方なかったそれが軽く思えるのは、気のせいではないだろう。
最後の大罪喰いを倒しに行く準備を進めているのか、ムジカ・ユニバーサリス近くにやってきた英雄の姿を、ヤ・シュトラの目が捉える。
彼女から見た彼の姿は、ゴーンの砦で再会したときから罪喰いと見分けがつかないほどの光に侵されている。最近は魂を構成するエーテルにまで侵食しているのを視て、何も言わない水晶光やウリエンジェに対して疑念を抱きはじめてもいた。
だからこそ、定期的にスリザーバウに置いている本の山から、どうにか対処法はないかと個人的に調べていたりもする。そうしてクリスタリウムへ戻ってきたところに当の本人を視界に入れて、ヤ・シュトラは驚愕した。
「あの人の、エーテルの中心……なにか、黒い孔がある……?」
彼女の目からは真っ白にしか見えない身体の、ちょうど心臓あたりの位置に真っ黒な孔が穿たれている。
それが孔ではなく、なにかを包み込むように展開されている「影」だと気づくのに、そう時間は掛からなかった。
身体のなかで荒れ狂う光を制御するすべを、彼なりに見つけたのだろうか。ヤ・シュトラは一瞬そう考えるも、それは信じがたいと首を振る。あれだけ対処法を探し回って、ひとつもそれらしい文献は見つからないし、賢人としての知識すらことここにおいては歯が立たない。
考えられるとするならば、エメトセルクが助力をしたか……しかし自分たちを見定めるため行動をともにすることとなった彼が、自分で解決するべきものに手を貸すとも思えなかった。
どちらにせよ、あの光を自力で制御できているのならそれに越したことはないと、ヤ・シュトラはその場をあとにする。
それに気づいたか、それとも偶然か。英雄の心を守る暗黒が、光のなかで静かに揺らめいた。