暁光に影は溶く

暁月のフィナーレ パッチ6.0 89クエストおよび
暗黒騎士ジョブクエスト80
までのネタバレがあります
※微フレ光♂

 

 ナップルームの寝台に横たわっていた英雄が、ゆっくりと目をひらく。
 開け放していた窓の向こうは、月の位置こそ変わっていたが眠り始めたころと同じく暗い。なかなか進まない時間に、彼は小さくため息をつく。
 これまでの経験から無理に眠ろうとしても疲れるだけだと身を起こし、寝台に腰掛けてぼんやりと部屋のなかを眺める。不眠が板についてからは、眠れぬ夜の過ごしかたも慣れたものだった。
 見渡したナップルームの壁は、今までこの部屋にて羽を伸ばしてきた研究者のメモや記事でいっぱいだ。中には研究対象だったのだろう、見覚えのある蛮神の絵画もある。
 今やテンパード化も、エーテル放射を何度も受けていなければ、という条件つきではあるが治療できるものとなった。それまでの道のりは決して平坦ではなかったが、ずいぶんと遠いところまできたものだと、『英雄』となった青年は自身の旅路を思い返した。
 そしてその道は明日、叡智の集まるシャーレアンの人々も、世界中を回るグリーナーすらも行ったことがない、天の果てへと繋がることになる。
 彼がこの時間まで眠れずにいたのは、元々不眠がちだったからという理由だけではない。たったの八人で向かう、ヒトが生存できるのかすら分からない場所への、下手をすれば片道切符になるかもしれない旅。そんな無謀ともいえる試練が、数時間後に迫っているからだ。
 しくじれば命はなく、終末は星を燃やし尽くすまで終わらない。これまで散々世界を救ってきたはずのその身は、重すぎる責任に押しつぶされかけていた。

「……さすがに、怖いな」

 俯きながらぽつりとつぶやいた本音は、座っている足元の影に投げかけられる。その想いを受け取ったかのように、影は闇夜よりも昏い暗黒となり、徐々に人のかたちをとっていく。
 ひとりでに動き出したそれに、彼が驚くことはない。負の感情が溢れ出したとき、いつだって寄り添ってくれたのは『彼』だった。
 真っ黒なひとがたから、インクが垂れ落ちるように闇がこぼれれば、鎧姿の男が姿を現す。

「フレイ、ひさしぶり」
「ひさしぶり、じゃないんですよ。すっかり呼び出されなくなったと思えば、今度は天の果てにまで行くときた。呆れてものも言えませんよ」
「……ええと、両手剣を使わなくなったこと、拗ねてる?」
「誰も拗ねてなんていません。強いていうなら、君にも盾を使って身を守るだけの知恵が生まれたんだな、と思っただけです」
「ひ、ひどい!」

 英雄が「フレイ」と呼んだそれが現れるや否や目の前の青年に皮肉をぶつけると、ひとつ嘆息して腕を組む。「光の戦士」の、人には決して見せることのない負の感情を司る『彼』は、英雄の心が悲鳴をあげたときに時折こうして姿を現していた。
 その彼が言っているように、セイアッドは第一世界での旅路で背負い続けてきた真っ黒な両手剣を一度置き、白く輝く刀身を持った片手剣と、太陽のような橙を輝かせる盾へと武具を変えている。

「……まあ、本当は喜ばしいことなんです。剣だけを持って道を切り拓く君は、見ていて危なっかしいですから」
「そうかな……? でも、自分の身を守るためだけだったら両手剣でもよかったんだけど、今回は……守りたいものが多すぎるから」
「ええ、分かってます。君が暗黒の剣を振るわなくなったからって、僕と離れるわけじゃない。それに……」

 寝台に腰掛けているセイアッドの目線に合わせるように、影身は彼に近寄りつつ少しだけ屈んでみせる。
 金色の瞳同士の視線が絡み合って、青年の頬に手が添えられる。手甲の冷たい感触に目を閉じたその瞬間――。

「えいっ」
「いっっった!!」

 思いもよらぬ衝撃を受け、英雄と呼ばれる青年は涙目になる。額を指で弾かれたのだということに気づいて、痛む場所を両手で押さえつつフレイに潤んだ瞳を向けた。

「なっ、なに!?」
「僕、以前に言いましたよね。第一世界で君を生かそうと精いっぱいだった、って……光が溢れそうになったときも、エリディブスと戦ったときもそうです。
 とくに後者なんて、本当に大変だったんですから……これはちょっとした仕返しというか」
「いや、うん、確かにあのときは助かったけど!」

 エリディブス……ウォーリア・オブ・ライトとの決戦は、アゼムの召喚術によって呼び出した稀なるつわものたちをもってしても勝てるかどうか分からないほどの、極限の戦いだった。
 世界を続けたいという想いは互いに同じで、背負ってきた命も願いも同様に重く双肩にのしかかる。どちらが正義ということは決してなく、もはや意地と意地のぶつかり合いでしかない。
 あちらが満身創痍のなか限界を超え続け、仲間がつぎつぎと斃れていくなか、ついに刃がセイアッドの喉元を捉えた。あと一撃が致命傷となると分かっているのに、失った血と疲労が脚をもつれさせる。
 そんな主を護るように、黒い影が「闇の戦士」の横を通り抜け……一度英雄というものを否定したそれが、英雄のなれの果てにとどめを刺したのだった。

「正直なところ、僕はあのとき一度力を使い果たしました。君に呼ばれれば出てこれはするけれど、それは君のエーテル供給あってのものです。
 だから今はしっかり休んで、またいつか君を守れるだけの力を蓄えておく……と思っていたんですがね」

 結局君はまた背負って、こうやって僕が出てくる羽目になってるじゃないですか。
 呆れたように、しかし年相応の青年らしく、英雄の影身はそう言って笑った。

「君が不安で眠れないというのなら、そうですね……少しばかり、思い出話をしましょうか」
「思い出?」
「ええ。僕に出会うよりもっと前、君が小さかったころの話です」

 幼少の折から既に超える力を有していたセイアッドは、『心の壁を超える力』により、他人の負の感情を強く感じ取るようになっていた。それが奇妙な黒いモヤのように視えていたのは、今思えばエーテル量の少ない未熟な体が、デュナミスを感じ取っていたことに起因していたのだろうと影身は考えている。
 しかし、当時のセイアッドにそれを知る術はない。よって、相対した人間が抱く負の感情には、自分が「大丈夫」と言って安心させることで対処するのが身についていた。
 よく遊びに行っていたチョコボ厩舎で、ようやく孵ったチョコボの雛がすぐに息絶えてしまったとき。冒険者ごっこをしていた道中、大怪我をして帰ってきたとき。嵐の夜、風属性エーテルが強く乱れた影響で母が寝込んでいたとき。痛みや悲しみ、そして寂しさを抱いた日には、いつもいつも自分や他人の負の感情に呑み込まれないよう、おまじないのように大丈夫だと言い続けてきた。
 無理に笑っているわけではなく、無茶をしているわけでもない。それがいつしか当たり前になって、気づけば『フレイ』の元になる感情たちは、心の奥底に追いやられてしまった。
 だから、ずっと気づいて欲しかったのだ。どこまでもお人よしで優しい君の、ずっとずっと深いところに仕舞われて、無視され続けている感情があるのだと。

「きっかけこそは君が『英雄』だのなんだの言われ始めたころですが、僕は……君の想いは、それよりもっと前から心の底で訴えていたんです。結局、僕があんな暴挙に出るまで気づくことはありませんでしたが」
「……ごめん…………」
「謝ってほしいわけじゃなくて……ただ、知っておいてほしい。僕は、君の痛みを取り除きたかったんじゃない。その痛みを、傷ついていることを自覚してほしかった。
 ……メーティオンは言っていましたね。負の感情は決してなくすことなどできない、生は苦しいくせに意味がないから、解き放ってやるのだと」

 静かにそう言うフレイに、セイアッドはしっかりと頷く。宇宙にほど近いダークブルーのなか、黒く染まったメーティオンの姿が脳裏に浮かぶ。

「僕らは、痛みも苦しみもあるからこそ、誰かを大切にできるのだと知っている。傷が痛くなかったら、自分が傷ついていることも、失ったものがどれだけ大事だったのかも知らないままに進んでしまう。
 だから君は僕をつれて、ここまで旅をしてきてくれた。そんな君が今更、絶望なんかに負けるわけがない」

 月明かりしかない部屋のなかで、金色の瞳が輝いた。それは絶望をも打ち砕く、強い希望の光だった。

「僕たちは絶望なんて、もう飽きるほどしてきました。それを幾度も超えてきた力を、答えを、彼女に見せつけてやりましょう」
「……そうだね。ありがとう、フレイ」

 フレイの硬い鎧を、戦装束を解き身軽になった体で抱きしめる。素肌に当たる金属は冷たいはずなのに、不思議と温かいように感じられた。
 それは彼が心を持たぬものではなく、痛みも歓びも知っているひとりの人間だからこそ感じる体温なのだろう。たとえ世界から悲しみのすべてを消し去れたとしても、きっとそこに温度はない。
 夜の闇がどれだけ昏く冷たいものだったとしても、それがあるからこそ、人は朝の光にありがたみを感じるものだ。

「僕が行くなと言っても、君はどこにだって行くのでしょう。だから僕にできることは、君の心を守ることだけです」
「うん……いつもありがと、って痛たたたた!? 待って待って、フレイくん、ステイっ!!」
「そして、痛みを自覚させるのも僕の役目です!!」

 ぎゅうぎゅうとフレイに抱きしめられれば、体に鎧が食い込んでセイアッドが根を上げる。
 背中に回していた手で彼の鎧をばんばんと叩くと、名残惜しげに解放された。

「これくらいで痛いと感じるんですから、まずいと思ったらちゃんと撤退してくださいね。以前、無茶はほどほどにと言いましたけど……全力で無茶をしていいって意味じゃないですよ」
「わかった、わかったから! いのちだいじに! わかってます!」
「本当にわかってるんですか……」

 フレイは呆れつつも、ベッド横の机上に丁寧に畳まれた戦装束と磨かれた武器が鎮座していることに気づく。
 戦装束の上には、すっかり見慣れた黄色い百合の頭飾りがちょこんと置かれている。摘まれてからしばらくの時間が経っているというのに、それはほんのりと甘い香りを漂わせていた。

「そういえばあの花、ずいぶんと持ってますね」
「そこはセヴェリアン先生の大発明っていうか……俺が第一世界でのことを喋ったらピンときたみたいで」
「……まさかとは思いますが……」
「そう、そのまさか! 霊極性に偏ると生命は停滞に寄る、って内容を実体験込みで話したら、それを応用した花を長持ちさせる薬を作ってもらっちゃって……いやぁ、死にかけてみるものだよね!」
「……君って人は!!」

 ぐりぐりと両側のこめかみを拳で圧迫されて、ついにセイアッドが悲鳴をあげた。フレイは我ながら悪さをする子を叱る親のようだと思いながら、手の力を緩めてやる。

「うえーん、フレイくんがいじめる……」
「いじめてないですよ……あのときの僕の苦労はなんだったんだって思っただけです。まあ、君が笑ってその経験を語れるようになったのなら、それに越したことはないんですが」
「今となっては、だけどね。もしかしたらこの終末もいつか、笑って話せる日が来るのかなぁ……」

 しみじみとそう語るセイアッドの目は、窓の向こうで輝く月に向けられている。天の果ては、終焉を謳うものたちの巣は、あの遠い遠い月のさらに先だ。
 こんなちっぽけな地上からは想像もつかない場所への旅は、刻一刻と近づいている。戻ってくるそのときまで、彼がいま座るベッドは遠いものとなるだろう。
 普通に眠る、なんて日常からもっとも離れたところへ、彼は今日旅立つのだ。

「……笑って話せる日のために、君は無事に帰ってくるんです。終末なんて払い退けて、明日と明後日のその先へ」

 セイアッドが身につける百合の花は、いくら錬金術で劣化を抑えようとも枯れる日がくるだろう。そうなる前に、今度は自分が新しい花を贈れたら良いと、あの日彼がくれた紫色の花に想いを馳せる。
 
「永遠に咲く花なんかなくて、いずれは枯れていくものです。だけど、もう一度その花が見たくなって、つぎの季節を待つようになる。君はその何でもない繰り返しを……これからも、ずっとずっと、続けていくんだ」
「……うん」

 セイアッドは微笑みながら頷くと、ベッドから立ち上がった。まったく同じ高さの目線が静かに合って、彼の両手がフレイの覆面に添えられる。
 かちゃり、と音を立てて外されたそれが横に置かれれば、英雄と瓜二つの顔が夜の空気に晒された。
 ……ああ、まいったな。素顔じゃなければ、流れる涙を君に見せなくて済んだのに。
 そうして声も出さずに泣く影身の額に、セイアッドはこつんと自らの額を合わせた。

「この世界を救ったら、また一緒に旅をしようね」
「……! ええ、ええ。約束です……!」

 自分のために泣いてくれる、誰よりも優しい哀しみの化身は、英雄の影に溶けていく。
 気がつけば、窓の外にいた月は少しずつその身を透かし、水平線は黒から紫へと色を変えていた。