白と紅と、それから黒と

漆黒のヴィランズ パッチ5.0 70クエストまで
および暗黒騎士70クエストまでのネタバレがあります

 

 

「オォ〜、冒険者サン! 奇遇デ~ス!」
 
 軽薄な口調とともに、クガネではずいぶんと目立つ金の髪を揺らしながらこちらに歩いてきたのは、東アルデナード商会の番頭であるハンコックだ。
 セイアッドはこの男がどうにも苦手である。何も見ていないようで人の目を真っ直ぐ見ているし、他に意識が向いているようでいてしっかり耳を傾けている。
 何も隠しごとなどしていなくとも、何かを暴かれそうになる感覚を、彼は人に抱かせるのだ。
 つい先ほどまで豪神スサノオと対峙していたところに、場所が近いからとクガネの第一波止場へと立ち寄った身としては、正直最も会いたくなかった相手だった。
 どっと押し寄せてきた疲れを悟られないようにしつつ、セイアッドは声を掛けてきたハンコックに向き直す。

「……どうしてここに? 商館からは遠いんじゃ?」
「タタルさんが、こちらの鍛治屋の方に用がありましてネ。送るついでに新規顧客を開拓しようとしていたところ、紅玉海の方面から文字通り飛んでくるアナタの姿を見た、というわけデス」
「はあ……」
「それにしてもずいぶんとお疲れのご様子。今から商館に戻って、お茶のひとつなど出す準備はできておりマスが?」
「い、いや」
「アナタはワタシたちの大事な大事なお客様! クガネのおもてなし精神を存分に発揮させていただきたいのデ~ス!」
「あの……」

 早々に会話を切り上げようと、あえてそっけない態度で接しようとするも、あっけなく相手のペースに呑まれてしまう。
 セイアッドは人と接するのが好きなたちではあるが、ただ会話による交流が好きであるというだけで、特段弁が立つわけではない。
 頭の回転にも自信がないし、政治的な立ち回りはアルフィノをはじめとした『暁』の賢人たちに任せきりだった部分もある。
 そもそも、ナナモ陛下暗殺未遂の一件のせいでウルダハの商人には苦々しい思い出しかないのだ。だからこそ、ハンコックのように会話を引っかき回すタイプの人間とは、極力距離を置いてきたつもりである。
 彼の属する東アルデナード商会の会長、ロロリトもそういった類の人間だったから、よほどのことでもない限りこの商会自体と関わらないようにしよう、と心に決めていたはずなのだが。

「そう、アナタにも素敵なプレゼントがありますのでネ!」
「プレゼント?」

 思いもよらぬ言葉にうっかり反応すると、ハンコックのサングラスの奥が光るのを感じた。
 ああ、やってしまった。セイアッドは後悔する。この手練れの商人は、自分があまり好かれていないということを自覚してわざと馴れ馴れしくしていたのだ。
 そうすることで相手の心を遠ざけ、興味を外したところに予想外の言葉を投げ込んで意識を引き寄せる。
 言葉の駆け引きをするくらいなら実戦に持ち込んだ方がマシだ、と常々思っているセイアッドにとって、この口先から生まれたような優男の存在はあまりにも強敵だった。

「さあさあさあ、善は急げ、というやつデス! 向かいましょう、我らがウルダハ商館へ!」

 背中をぐいぐい押されながら、都市内エーテライトへ向かう。
 この人と喋るくらいなら蛮神と戦う方がまだ楽だなぁ……などと先刻まで戦っていたスサノオの姿を思い浮かべつつ、セイアッドはエーテルの流れに身を任せるのであった。

 
 *

 
「さて、先ほどのプレゼントの話デスが」
 
 促されるまま席につき、職員の持ってきた薫り高いお茶――聞くところによれば、クガネ城でも出されている最高級茶葉らしい――を啜っていると、奥の方で何やらゴソゴソと探し物をしていたハンコックが戻ってくる。
 簡素な包みをほどいて手にしたそれは、皺のひとつもない真っ白な着物だった。
 
「それは?」
「見てのとおり、着物デ~ス! 我らアルデナード商会が富裕層向けの衣類や宝石を扱っているのは知っておいででしょう? ここクガネに支店を出してからは反物にも明るくなりましてネ」
 
 ばばーん、と効果音が聞こえてきそうな勢いでその着物を広げながら語るハンコックに、まさかこれを買えと言われやしないかと、セイアッドは思わず身構える。
 が、続いたのは、彼が思っていたものとは正反対の言葉だった。
 
「市場にある老舗呉服店、大天屋さんって知ってます? 業務提携をしたところ、良い布がウチに入ってくるようになりまして! 端的に言いますと、その布で作ったこちらの着物をアナタに譲渡したいのデス!」
「……ん!?」
 
 思ってもいなかった話に、セイアッドは持っていた湯飲みをうっかり落としそうになった。
 
「少々飛躍しすぎました? まず我々東アルデナード商会が、アナタがた『暁』の皆さまに協力を申し出たのは、会長ロロリトからのお詫びであると以前お伝えしましたが……
 これもまあ、そのお詫びの一環とお考えいただければ結構デ~ス。特に冒険者さん、アナタには多大なるご迷惑をおかけしましたからネ。
 『謝意を示すのであれば、金か便宜かによって』……つまりそういうことデス」
「……それで、どうして着物? 別に俺、着る服に困ってるわけじゃ……」
「オォ~、またワタシの悪癖が出ましたネ。セールスポイントを第一に話してしまうのは商人の悪い癖デ~ス。アナタがた、これからナマイ村へ向かうご予定でしょう?」
「なんで、それを」
 
 海賊衆や紅甲羅とのいざこざを片付け、次の目的地は限られた仲間内で決めたはずだ。
 なのに、クガネから動いていないはずのハンコックにこれからの予定を悟られていることに驚いて、彼のサングラスの奥に隠された瞳をセイアッドはまじまじと見た。
 
「噂、というのも我々の商材の一部デス。イサリ村の方から珍しく狼煙が上がったのを贔屓の商人の方が見ましてネ?
 そして、ドマへと渡る手段を探しに行ったアナタが、何やらお疲れのご様子で戻ってこられた。その割にはアナタに気落ちしたような雰囲気は見受けられない。
 となれば、イサリ村の方で何かを解決し、アラミゴ解放運動のためのコマをひとつ進める前に、クガネで一息つこうとお考えになられたのでは?
 鎖国状態でろくな情報のないヤンサ地方に向かうのであれば、現地での情報収集は必須……
 なればこそ、以前に苛烈な粛清を受けたナマイ村に行かれると考えるのが自然でしょう。なにせ、あそこはドマにおける帝国支配の最前線デスからネ」
 
 呆気にとられているセイアッドをよそに、間延びしているのだかしていないのだか分からないような軽妙な口調で、ハンコックはよく回る口を更に動かす。
 
「もしアナタがナマイ村の方々に接触しようとするのならば、少々その服装では悪目立ちしマス。
 エオルゼアと帝国は別物だとお考えでしょうが、こちらの民からすればアナタがたも帝国人も『西洋の人間』というくくりデスからネ。
 そんなつ国の人間が、現地の文化を理解し歩み寄る姿勢を見せるというのは、それだけで武器になる……
 だからこそ、アナタがあちらへ向かわれる前に、これを渡したかったのデ~ス!」
 
 そう言って、ハンコックは手に持っていた着物をひらりとはためかせた。
 彼の言うことにも一理ある、とセイアッドは思う。まず、自分たちはアラミゴ解放のためにドマを焚きつけ、解放運動の機運を高めようとしているのだ。
 既に傷ついている人たちに向かって、更に傷つけと言わんばかりの行為。それを見慣れぬ装いの人間が現地民に協力を仰ごうとしたところで、まともに取り合ってくれるとは思えない。
 であれば、せめて形から文化に寄り添うというのは、確かに効果的だろう。
 ウルダハから遠い異国の、文化もそこに生きる人も違うクガネで商売をしている、ハンコックらしい発想だ。セイアッドは内心舌を巻いた。
 
「帝国から支配される、というのは、ただ人としての尊厳を奪われるだけではありません。
 その国に根差し、連綿と紡がれ受け継がれてきた文化、歴史……そういう、心ともいえるものを、丸ごと踏みにじられるのデス。
 ドマ町人地に建てられた帝国式の監視塔、自国の人間に作られたにも関わらず、ドマ城を隔離するために魔導フィールドを仕掛けられた月亮門……
 『自分たちの国の証』をことごとく奪われたドマ人に残された最後の砦が、この着物というわけデスネ」
 
 サングラスによって視線を隔てていても分かるほど満面の笑みを浮かべたハンコックは、その着物をセイアッドに手渡した。
 ずしりと重みを感じたのは、それが高級な反物であるという理由だけではないだろう。

「さまざまな種族、人種、思想が入り混じるエオルゼアで生きてきたアナタには、ひとつの文化にしがみつく気持ちはなかなか想像しづらいでしょう。
 かくいうワタシも生粋のウルダハ人ですからネ。本質的に彼らのことを理解できるとは全く思いません!
 デスが……商品を扱うということは、文化を扱うということでもありマス。
 それに寄り添う気持ちを失ってしまえば、ワタシには商売人である資格などないでしょうネ」
「ハンコックさん……」
 
 珍しく声のトーンを落として語る商人の姿に、英雄は感銘を受けたようだった。
 それが少しむず痒く思えて、ハンコックはわざとケラケラと笑いながら口を開く。
 
「ああ、ところでその着物、サイズはぴったりだと思いマスよ! 何せアナタのあんなところやこんなところの寸法を、タタルさんに教えていただきましたから」
「た……タタルさんが!?」
「オォ〜、剣呑テリブル! ご安心ください、彼女を脅してどうこうというお話ではありません!
 むしろ、我らが商会からのお詫びの品について考えていたところに、彼女からもろもろご提案頂いたのがきっかけなのデス」
 
 聞けば、タタルもタタルで『暁』の英雄への次なるプレゼントの構想を練っていたのだとか。
 小金通りの雑踏を眺めながら「冒険者さんは、きっと異国のお洋服も存分に着こなせると思うのでっす」と呟いていたらしいタタルの話を聞いて、ここウルダハ商館に来てからというもの緊張しきりだったセイアッドの顔に、ようやく笑顔が灯った。

「それは嬉しいし、助かるけど……やっぱり後からお金払えって言わないでくださいよ。タタルさんに怒られる」
「まさか! 衣服ひとつで相手の対応が変わる可能性があるならば、身銭を切るのも安いものデ~ス。多少狡猾と思うかもしれませんが、人心掌握とは商売人の基本中の基本ですからネ」
「身銭……」

 かつて一杯食わされたことから、ロロリトひいては東アルデナード商会に対して未だ苦手意識があるのは事実だが、そうまでして協力してくれるなら悪い人ではないのだろう、とセイアッドはようやく人心地ついた気持ちになった。
 対してハンコックが、何か思い出したように「ああ」とひとつ付け加える。

「そうデシタ! 白い生地を使っているのは、アナタの好きな色に染めて頂きたいからというのもありマスが……
 こちらの地方では、古くから白の着物に意味がありましてネ。白装束、という言葉に聞き覚えは?
 あるいは死装束。いずれも死人……もしくは、死を覚悟した者が身にまとうものデス」

 死、という穏やかではない単語に、セイアッドは眉をひそめた。
 それに気づいたか気づいていないのか、構わずハンコックは話を続ける。
 
「白とは穢れのない色デス。純粋で、清浄で、無垢なるもの。そんな概念をまとい、清らかな状態で死出の旅路を往く……
 いわゆる、ひんがしの国における宗教観や死生観に関わるお話ですネ。
 つまり白い着物を身に着けるのは、ドマにおいて覚悟を決めた証、というわけなのデ~ス!」
「……そんなノリで話すようなことじゃないと思うけど……」
「まあまあ、最後まで聞いてください! ワタシはこれを重い話と捉えてほしくなくて、あえてこのノリで行っているのデス!
 何が言いたいかといえば、アナタにはぜひ、この着物を何色にも染めず、そのまま着て頂きたいと考えていマス」
 
 ハンコックは少しだけサングラスをずらして、セイアッドの表情を覗き見る。
 
「常識的に考えるならば、白い服などあまりにも戦闘に向きません。隠密行動をするには目立つし、土埃も返り血も、自らの血でさえも、それに汚れてしまえばそのままデス。
 しかし……何もかもを隠す黒よりは、よほど正直な色だと思いませんか?」
「っ、あなたは……ッ!!」

 突如放り込まれた言葉に、セイアッドは思わず立ち上がる。
 この商人は分かって言っているのだろうか。『エオルゼアの英雄』と呼ばれるきっかけとなった帝国との一件の時も、イシュガルドにて千年にもわたる竜と人の戦いに巻き込まれた時も、英雄が好み選んでいたのが黒という色であったことを。
 身に着けていたその黒は、どれだけ傷つこうとも血の色を塗りつぶしていった。
 ――自分を庇った、友の血すらも。
 だからこそ、今度こそは流れた赤から目をそらさぬようにと、タタルから貰った真っ白なジャケットを何色にも染めず愛用していたのだ。
 そんな、ただならぬ雰囲気のセイアッドに向かって、ハンコックは宥めるように両手をかざした。

「おおっと、落ち着いてください! 何か心あたりでも?」
「…………いや……」
「白という色は、紅と対比する色でもあります。紅とは血の色であり、生命を象徴するものデス。
 ヒトは紅より生まれ出で、白き骨となり終わりゆく。
 果たして、アナタが戦う上で、何をまとう色としてお選びになられるのか……ただの、ワタシの個人的な興味の話デスよ」

 おもむろにサングラスを外したハンコックが、あらわになった両の目でセイアッドの姿をまっすぐ捉える。
 暗い色のレンズを通さずに見る英雄の瞳は、きらきらと輝いていて眩しいくらいだ。
 星のひかりをすべて集めたらこんな色になるのだろうか。数多の宝石を見てきたはずの商人には、この瞳の輝きに勝る宝石が、ついぞ思いつかなかった。
 一方で、初めてその商人の素顔を見ることになったセイアッドは、浮かべられた静かな微笑を見て頭を冷やすことになる。
 かつての自分を侮辱されたと思い、一瞬でも激昂した自分を恥じて、小さく「ごめん」と口にした。
 
「いいえ、アナタもお疲れでしょう。その服のほつれ具合を見るに、大変な戦いをしてきたのでは? 望海楼での休息をおすすめしマスよ。
 こちらも用事があったとはいえ、長い時間引き留めて申し訳ありませんデシタ!」
「え、うん……」
「こちらの着物と、つまらないものデスがちょっとしたお土産をお包みしましょう!
 ところでこちらの方々が言うつまらないもの、という言い回し、中々面白いですよネ。謙遜も時には毒デス!
 ああ、うちの商会はおもしろいものしかないので、いつか冒険者さんもごひいきにしてくださいネ?」
 
 懐にしまっていたサングラスをかけ直して、けらけらと笑いつつハンコックはてきぱきと手土産を見繕う。
 短かったはずの嵐のような時間に、セイアッドは呆然としながら立ち尽くしていた。
 
 
 *
 

 豪奢な内装のウルダハ商館を出ると、クガネにはすっかり夜のとばりが落ちていた。
 橙色の街灯が街を照らし、往来には昼間よりも多くの人が行き交う。客引きの声にはいっそう熱が入っていて、クガネの夜はこれからが長いのだと、大いに実感させられた。
 
「……さて、渡すべきものは渡したし、伝えるべきことも伝えマシタ。本日のお取引は、これにて終了といたしマス!」
「なんていうか……一応、ありがとう。タタルさんにも、戻ったらよろしく伝えておいて」
「もちろんデ~ス! ああ、今日お渡ししたそちらの着物、もしカレーうどんなど食べる機会があったら気を付けてくださいネ」
「カレーうどん……?」
 
 聞き慣れぬ組みわせにセイアッドは小首をかしげる。
 カレーは知っている。うどんも、モードゥナで調理師をやっているラルフという男の手伝いをした時に、作り方を覚えたから知っている。
 だがカレーうどんとはどういうことなのだろうと素直に疑問をぶつければ、ハンコックが「そういう食べ物もドマにはあるのデ~ス」と教えてくれた。
 
「啜るともれなく服が犠牲になると言われている恐怖の食べ物デス。くれぐれも、白い服の時は食べないように」
 
 いったい何なんだ、カレーうどん。胸に湧いた疑問を抑えつつ、セイアッドは今度食べてみよう、と内心決意するのだった。

「それではワタシは、これで」
「うん。あ、さっきは突然怒っちゃって、本当にごめんなさい」
「いいえ、こちらこそ不躾でしたネ。また、よい旅を」

 着物、ありがとうございます! と一礼して望海楼の方向へと歩いて行くセイアッドの背を見届けて、ハンコックは細く息を吐き出した。
 いつもは気にならないクガネの夜の喧騒が、今日はどうしてかうるさく感じる。

「いやはや、まったく……焦りましたネ。普段怒らない人間ほど怖いというのは、頭ではわかっていマシタが……」
 
 こんな性格をしているから、商談をしていて相手を怒らせた経験は一度や二度ではない。
 そして今回の『暁』の英雄が、これまで対応してきた客と比べて特別威圧的だったわけでもない。むしろ毒気もなく、英雄と呼ばれるには温厚すぎる人物だろう。
 しかし先ほど彼から感じたものは、もっと別の――。

(張り詰めた風船が破裂する寸前のような、紙で指を切りかけた時のような。間一髪の危うさでしたネ、あれは……)

 英雄本人は抑えているつもりなのだろうが、数多くの人間を観察してきた商人の目には、隠しきれない何かが見えたのだ。
 商神ナルザル以外に祈りを捧げた経験のないハンコックだが、これから険しくなるであろう英雄の旅が良いものであるよう、人生で初めて旅神オシュオンへと祈った。

 
 ――同時刻、望海楼。
 灯りもつけていない、薄暗い部屋の中で貰ったばかりの着物に袖を通しつつ、セイアッドは反省していた。
 
「いくらなんでもあれはないよなあ、俺……あー、本当最悪……」

 『何もかもを隠す黒よりは、よほど正直な色だと思いませんか?』――他意はないはずのハンコックの言葉が、セイアッドの頭の中でぐるぐると反芻し続けている。
 あの燃えるような夕焼けの中、己を庇った友の血を浴びた日、宿屋に戻って愕然とした。
 血を吸ったはずの自分の服は、まるで何もなかったかのように元の色を保っていた。
 彼が生きていた証が、彼が殺された証が、黒く塗りつぶされた気がして。だから次に装備品を新調する時には、どんな穢れも隠すことのない白を選ぼうと思っていたのだ。
 そんなささやかな決意に土足で踏み込まれた気分になって、先ほどはハンコックに反駁しかけたが、冷静になってみればあまりにも大人気ない。

「なんか、最近変だな……」

 近ごろセイアッドは、言語化しきれない自身の変化に内心戸惑いを感じている。
 先刻の激昂もそうであるし、何よりもうまく笑顔を作れない日が増えた。その場で取り繕うことが下手になっている自覚があるのだ。
 どんなことが起きても、何を言われても、笑っていればそれでよかった。自分が笑顔を見せれば相手は安心するし、その場もすべて丸く収まる。
 かといって、普段から無理に笑っているわけではない。ただ小さい頃からそう在ることが当たり前だったから、そうではなくなりつつある自分に違和感があった。
 ……それに。

『英雄に、悲しい顔は……』

 あの時。目の前で魂の輝きを失った盟友の最期に遺した言葉が、ずっと耳に残っている。
 彼にああ言われてしまっては、うつむいている時間などない。みんなの頼れる英雄として、常に笑顔でいなくてはならない。
 ――だって、泣いてる英雄なんて、誰も必要としないのだから!

「……っ」

 そう決意してここまでやってきたというのに、一人になるとすぐにこれだ。胸の奥底が痛い痛いと訴えて、覚悟を鈍らせようとする。
 ……ああ、そういえば。セイアッドは、先ほどのハンコックとの会話をふと思い出す。
 白い着物を身に着けるのは、覚悟を決めた証だと。先人はそれを着て死出の旅路へと出向いたのだと。
 であるならば、やはりこの白という色こそ、決意が揺らぎはじめた自分に必要な物なのではないかとセイアッドは考えた。
 隠密に適していないのは、むしろ好都合ではないか。夜闇のなかでも最も目立つ色を着ていれば、以前ラールガーズリーチで相対した化け物――ゼノス・イェー・ガルヴァスが、きっと真っ先に狙ってくる。
 もとよりそうするつもりでいたが、尚更それらしい理由ができた。ハンコックのことは苦手ではあるけれど、白装束の話をしてくれた彼に内心感謝した。
 胸に感じる痛みなど、何もなかったかのように、真っ白に塗りつぶしてしまえばいい。
 そうすれば自分はまた誰かのために頑張れる。ふたたび芽生えたその喜びに、セイアッドの口元は弧を描いていた。

 *

 敵将ゼノスを打ち倒し、アラミゴに新たな朝がやってきた。
 ポルタ・プレトリア。つい先刻までアラミゴ奪還作戦の最前線であったその地の高台にて、死闘を終えた英雄は、一人あわく光る空を見上げている。
 『暁』の少年、アルフィノ・ルヴェユールは、その背中に話しかけようとして、踏み出そうとした足を止めた。
 英雄の着ている、真っ白だったはずの着物が、無残にも真っ赤に染め上げられていたからだ。
 彼が流したものなのか、それとも返り血であるのか。夜空を感じさせる黒髪の中に混じる、澄み渡った青空のような色の毛先すら、今や見る影もないほど赤い色をしていた。
 腰に提げた刀の柄すら大惨事といった有様である。その手を拭う暇もないくらい、敵を斬っては武器を握り続けていたのだろう。
 リセが身にまとっていた、アラミゴの伝統衣装らしい赤いドレスとはまた違う紅が、この戦によって流された血の量を物語っていた。

「……ああ、アルフィノ!」

 立ち尽くしているアルフィノの気配に気づいたのか、英雄が振り返る。
 いまだ少年の面影を残しているような丸い輪郭に、柔らかい印象の目元。それだけ見るなら、彼はいたって普通の青年だ。
 しかしその頬にはべったりと紅い血がこびりついていて、右目を隠す前髪も、固まった血によって束になっている。

「……君は、」
「よかった! 今回は、みんなをちゃんと守れたよ」

 血にまみれた顔を晒して、英雄は心底うれしそうに笑う。
 無邪気さすら感じるその笑顔と、それに見合わぬ紅の釣り合わなさに、少年は軽いめまいを覚えた。
 この英雄は、誰よりも強く在ろうとして、誰をも守ろうとしてしまう。それが至上の喜びであるかのような彼の笑顔が、今のアルフィノにはひどく恐ろしいものに感じられた。
 出会った頃からよく笑う人だと思っていたが、今のそれは、どこか種類が違うのだ。
 おそらく本人も自覚していないであろう、何か大きな欠落を抱えたままで、それでも必死に取り繕おうとしているように見えてしまう。
 そうなった原因は、アルフィノが一番よく知っている。
 ――盟友の身体を、光の槍が貫いた日。唯一無二ともいえる心の支えを失ってから、彼はこうやって笑うようになった。
 アルフィノとて、仲間だと信じていた存在に裏切られ、全てを喪った時に励ましてくれたあの盟友のことを思うと、いまだ新しい傷のように胸がじくじくと痛むくらいだ。
 だからこそ、もう二度とこの英雄にあの日のような思いはさせまいと、自分も強くなったつもりでいた。しかし目の前にいる青年の姿を見てしまえば、そんな決意など薄っぺらなものだと突きつけられているようで、どうしようもなくやるせない気持ちになる。
 同時に、こんなふうに笑い続ける英雄を、これ以上見ていることに耐えられなくなってきていた。
 
(君にこんな悲しい笑顔をさせるくらいなら、私は)
「えっと、アルフィノ? アルフィノさーん?」
「……っ、なんだい!?」

 押し黙っていたアルフィノを不思議に思ったのか、いつの間にか歩み寄っていた英雄が声をかける。
 思考の海に沈んでいたせいで反応が遅れてしまった。慌てて返事をしたアルフィノを見て、英雄は少し困ったように笑った。

「もしかして疲れてる? ごめん、作戦考えるのとか任せきりにしちゃったから……今日はゆっくり休むんだよ」
「ぼ、ボロボロの君がそれを言うか……!!」
 
 わたわたと慌てたようにそう返すアルフィノに、セイアッドはきょとんとした表情を浮かべて、すぐに小さく吹き出した。
 
「ふふ、あはは! そうだね、俺もすっごい疲れた!! 早く帰って寝たいなあ……いや、クガネの温泉に行くのもいいかも」

 セイアッドは、今度こそ本当に、楽しそうに笑って言う。
 そんな姿を見たアルフィノは、ようやく肩の力が抜けた気がした。
 そして改めて英雄の姿を見る。着物から覗く首筋にも紅い跡が残っていて、彼がどれだけの死闘を繰り広げたのかを如実に物語っていた。

「……おつかれさま、セイアッド」
「うん、アルフィノ」
 
 アルフィノから差し出された手を、セイアッドはしっかりと握る。その手はアルフィノのそれよりずっと大きくて温かく、そして血で濡れていた。
 きっと彼も本当は怖かったはずだ、とアルフィノは思う。あのような規格外の、神なる龍との戦いの最中に恐怖を感じなかったはずがない。
 ここで自分が負ければ誰かが死ぬかもしれない、自分のせいで誰かを傷つけてしまうかもしれない。その不安を押し殺しながら戦うことは、決して容易ではないだろう。
 それでも彼は、こうしていつも通りの顔で笑う。その強さが羨ましくもあり、悲しくもあった。

「俺は大丈夫だよ」
 
 アルフィノの心を見透かすかのように、セイアッドは静かに呟いた。
 
「だって、アルフィノがいるし、みんなもいる。俺が守りたいものを一緒に守ってくれる、大切な友だちがそばに居てくれるんだから」
「友だち……」
「だから、こんな俺だけど。これからもよろしくね」
「……それはこちらの台詞さ。君からしたら頼りないだろうけれど、どうか私たちのことも頼ってくれよ」
 その言葉に、英雄は嬉しそうに微笑んでうなずいた。
 
(私も強くなろう。君がもっと人を頼って、本当の笑顔を見せられるように)

 そんな少年の密かなる決意は、のちにガレマール民衆派将校との旅路――そして、第一世界での孤独な闘いへとつながることになる。

 *

 ――第一世界、アム・アレーン。
 乾燥しきった大地の上、罪喰いを追って駆け回っていた少女の目に飛び込んできたのは、黒き外套をまとった英雄の姿だった。
 どうにか動揺を隠しつつ低級罪喰いを早々に片づけて、アリゼー・ルヴェユールは『暁』の英雄との再会を(跳ねる心臓を抑えに抑えながら)喜んだ。
 自分がこれまで第一世界でやってきたこと。そしてこの世界で何が起きているのかを端的に共有して、改めて彼に向き直る。

「ところであなた、ずいぶん雰囲気が変わったじゃない?」
「え、そうかな?」
「一年前まで……ううん、あなたにとっては最近だったわね。白いドマ風の服を着ていたでしょう?」
「あー、それかぁ」

 足元の砂埃を軽く払いながら、セイアッドは至極真面目な口調で言った。

「あのさ、カレーうどんって食べ物知ってる? あれがすごい食べづらくてやめた」
「へえ……ん? はああああ!?」

 冗談とは思えないトーンで当たり前のようにそう言われたから一度受け入れかけたが、突飛すぎる返答に思わずアリゼーは声をあげる。
 すぐにはっとして口元を抑えながら「ごめん」と言いつつ、廃都ナバスアレンの城を今にも覆わんとする白い壁の方を見た。
 先ほどまで、低級とは言えはぐれ罪喰いがやってきていたのだ。この声に反応してまた出てきたらたまったものではない。
 そんなころころ変わるアリゼーの顔を不思議そうに見ながら、セイアッドは言葉を続けた。

「いやあ、ナメちゃいけないよカレーうどん……あれは強敵だった。
 それ以外の汚れも落とすときに大変だったんだよ。ある程度までは重曹でどうにかなったんだけど、完全に綺麗にはならなくて……
 で、染め直そうとしたらピュアホワイトのカララント、マーケットにいくらで出されてるか知ってる? 30万ギルだよ、30万!」
 
 ただの染料なのに他と比べてあの色はやたら高いよね……と眉間に皺を寄せながら腕を組んでそう語るセイアッドを見て、アリゼーは脱力してしまった。
 第一世界へと召喚される前、仲間たちが次々と倒れていくなかで、神経を常にとがらせていた彼の姿を覚えている。
 結局最後には彼一人を残して自分も倒れてしまったから、その後に何か起きた末の装備の新調なのだろうと勝手に思い込んでいた。

「まったく、ボロボロになるようなことがあって変えたのかと心配しちゃったじゃない!」
「ご、ごめん」
「謝ってほしいわけじゃなくて! そ、その……とにかく! あなたに何もなくてよかったわ……」
「……ありがとう、アリゼー」

 ただでさえ丸みのある頬をぷっくりと膨らませてそっぽを向くアリゼーが、普段背伸びしている彼女にしては子どもっぽく思えて、セイアッドはその頭を撫でた。
 対してアリゼーは、頭上の温もりにどこか安心感を覚えたあと、その正体がなんであるのかに気付き、まるで猫のように飛び退く。

「なっ、ななななな、な……!!」
「おおー、デプラスマンてそんなに距離取れたっけ?」
「この一年の特訓の成果よ、ナメないでよね! ……ってちがーう!! こんなことしてないで、さっさとテスリーンのところに戻るわよ!!」

 大股でずかずかと砂地に足跡を残していくアリゼーの背を苦笑しながら追いつつ、セイアッドは心の中で謝罪した。

(……ごめん、アリゼー)

 アリゼーに話した内容は、そのほとんどが嘘だ。あまり嘘をつけない人間だと自覚していたのに、よくもまあ口が回ったものだと自分のことながら驚いた。
 気付けば作り笑いがうまくなって、今度は嘘すら本当のことのように話せるようになった。
 あの白装束は、己の覚悟を示す上では確かにその役目を果たしたと思う。
 直接的な要因であったのか今は知る術もないが、確かにゼノスをはじめとして、敵対する存在はセイアッドを真っ先に狙ってきた。
 しかしながら、短所も少なからず存在した。これまでより流した血が目立つようになったからなのだろう、仲間から余計に心配を掛けられる機会を増やしてしまったのだ。
 思い返してみれば、以前に比べてねぎらいの言葉を貰うようになったと思う。休め、と言われることも多くなった。
 英雄に頼るのを申し訳ないと思いながら、それでも頼るしかない人たち。しかしそれを不快に思ったことはなく、むしろ自分はそういう人のために存在するのだとセイアッドは思う。
 適材適所、という言葉がこの世にはあるのだ。頼ってくる人たちは戦えなくて、自分は戦えるだけの力をたまたま持っている。だからそういう役目が回ってきているだけのこと。
 すこしだけ、ほんのすこしだけ、疲れたと思う時もあるけれど。そんなちっぽけな感情は、笑って誤魔化してしまえばいい。
 そうやって簡単に嘘をつけるようになった自分には、白という潔白を示す色は、あまりにも遠すぎるように思えた。
 
(……それに)

 あれから握る獲物も変えた。かつて後方で守られるだけの存在になるのが嫌で、前線で戦えて取り回しのきく刀を選んだが、それだけでは人を守るのには足りなかった。
 『暁』の仲間たちが倒れたこと自体は水晶公の手によるものだったが、結局未知なる干渉から仲間を守れなかった事実に変わりはない。
 だから、大切な人を守れるだけの力を得るべく、漆黒に染まる両手剣を選ぶことにした。
 実のところ、これまでセイアッドは暗黒騎士としてこの剣を握ることを極力避けていた。
 かつて一度、世界のためではなく、ただ盟友のために暗黒の剣を振るったことが、英雄として相応しくないと思っていたからだ。
 ――英雄とは「誰も」を守るものだが、暗黒騎士は一人の「誰か」のために在るものだと教えてくれた人がいる。
 だから、その時だけは友ひとりのためだけに剣を振るおうと思った。弔い合戦といえば聞こえはいい。しかし実情は、友の命を無情にも奪った憎き相手への復讐だ。
 結果的に復讐は果たされることとなったが、そうして相手の血を吸った背丈ほどもある両手剣がひどく重く感じて、それから剣を一度置いたのだった。
 次に誰かのためにその力を使おうと思える時まで、暗黒の剣は振るわない。そう心に決めていたが、その時はすぐにやってくることになる。
 
(今度こそ、俺の大切な人たちを守ってみせる)

 攻撃のための武器から、誰かを守るための武器へ。
 剣に合わせて装備も変えることになった。ほとんど肌を見せない真っ黒な外套は、嘘をつき通せるようになった今の自分を表しているように思えた。
 
 
 そうして英雄は、黒という色を身にまとって、この世界に蔓延る白と対峙する。