紅蓮のリベレーター パッチ4.1「英雄の帰還」
および暗黒騎士ジョブクエスト50の微量のネタバレがあります
「フォルドラ・ルプス。入れ」
「……」
看守に名を呼ばれて、ああそうか、と実感する。
文字通り石を投げられてまで守ってきた
己は階級も、立場も部下でさえも、何もかもを失ったのだ。
(その代わりに得た力は、失ったものに値するのだろうか?)
今も気を張っていなければ、否、張っていても流れ込んでくる他者の感情や記憶。
帝国では『超越者たる力』などという仰々しい名をつけられたそれは、およそ人の身には過ぎたものだった。
あえて覗かずとも視えてしまう他人の過去など到底面白いものではない。ましてや、帝国人に虐げられてきたアラミゴ人が近くにいようものなら、彼らの受難が濁流のように脳を埋め尽くしていく。
本来同族であったはずの者たちに対して、帝国人として振る舞っていたことそのものに後悔はなく、アラミゴを帝国側から変えようとしてきた自分の選択には誇りもある。部下たちすら見殺しにした選択も、覚悟の上でのことだった。
(……たとえ同族殺し、仲間殺しと蔑まれようと、私はやるべきことをやった)
しかしアラミゴやドマを変えたのは、これらに何ら関係のないはずの”エオルゼアの英雄”だったのだから皮肉なものだ。
英雄、神狩り、光の戦士。”彼”につけられた呼称はさまざまで、周囲で立つ噂にも色のついたものが多かった。他人の過去を自由に視ることができるのだとか、神殺しのすべてを一人で成し得たのだとか。
無理もない話ではある。彼は数々の最上級士官を屠ったかと思えば、帝国内で屈指の実力を持つ軍団長ガイウス・ヴァン・バエサルすら斃した。
人間業ではないその戦力を思えば、『自分たちとは違うもの』とでも考えなければ腹に落ちなかったのである。
自分とて周囲の例に漏れず、沸き立つ数々の噂から勝手に英雄像を作っていた自覚はある。人となりまでは末端に伝わることがなかったために、ルガディン族のような、大柄で豪快な存在だと思い込んでいた。
しかし、かの英雄と初めて対峙した時は、少しばかり肩透かしを喰らったものだ。
蓋を開けてみれば何の変哲もない、その辺りを歩いていたらまるで気にも留めないような、ただただ平凡なヒューラン族の男がそこにいたからだ。
どちらかといえば、片田舎で園芸でも嗜んでいる方がお似合いだろう。まだ輪郭に少年のまろみを残したその男は、どうにも心もとなく思える細身の剣を手にして、必死に戦場を駆け回っていた。
好きで戦地に立っているわけではなさそうな、不安気で生き抜くだけでも精一杯といったその顔に、こんなものが英雄なのかと内心怒りすら感じたのを今でも覚えている。
もっとも、そんな相手に敗北を喫したから、今や牢屋暮らしと成り下がったのだが。
(ここまで落ちぶれて、私はいつ死ねるんだろうな……)
散々人を傷つけて、命も尊厳さえも奪ってきた。
だというのに、誰も彼もがどうして自分を殺さず生かそうとするのか、いくら考えても分からなかった。
そんなひっくり返ることだらけの人生が、またもうひとつ転がろうとしている。
「……いったい、なんのつもりだ……」
あのゼノス・イェー・ガルヴァスが、光の戦士との戦いの末に敗北し、自刃した――。
そんなにわかに信じがたい話が看守の口より聞こえてきた日から、しばらくの時間が経った頃。
解放軍の長、リセ・ヘクストがやってくるなり、何を思ったか愛用の剣を寄越してきた。
いわく、アラミゴの今後を決める会合の最中にアナンタ族が蛮神を召喚し、英雄が相手取っているという。
その彼が、かつてこの牢をリセとともに訪ねてきたときに訊いたことがある。
『わけのわからない、他人の人生を見せられて……苦しんで、裏切られ、身勝手な想いを託されてまで……
どうして、お前は歩みを止めない……どうしてッ!』
『……守りたいものがあるから』
真っ直ぐな目で、静かにそう答えた彼は今もまた、自分とは無関係であるはずのアラミゴの人間を守ろうとするべく戦っている。
「フォルドラ、あなたには蛮神と戦う力がある。そして、悔しいけれど、その力がアタシにはない……」
彼女の言う通り、人は本来であれば蛮神と戦えない。蛮神討滅を国是とする帝国ですら、テンパード化に対抗できる決定打を持たない。
だからこそ、今や解放者と称されるあの英雄だけが、数々の神狩りを成してきたのだ。
超える力、超越者たる力。名称こそ異なれど、そんな誰もが求めてやまないはずの力を、今の自分は持っている。
何もかもを喪った自分の手に残っていた最後の光。
もはや生きる意味などないと思っていたが、どうやらまだ、この命の使いどころはあるらしい。
足元へと投げ出された剣を握り、脚に力を込めて立ち上がる。
この身はアラミゴ人として帝国の中で生きるため、鋭く研ぎ続けてきた刃だ。少し牢屋暮らしをした程度で鈍るほどヤワではない。
そうして、英雄の待つ舞台へとひた走る。これから蛮神と対峙するというのに、その足取りはなぜか軽く感じられた。
たどり着いたアラミゴ王宮鷲獅子の間は、異様な空気に包まれていた。
『超越者たる力』によってエーテルを感じ取りやすくなったせいもあるのだろうが、この世にあってはならないと思わせるほどの異物の塊がそこに在る。
その重みで閉じそうになる瞳をよく凝らして、反乱するアナンタ族を相手取る人間たちの、更に向こうにある人影へと目を向ける。
青白い炎のような光に囲まれ蛮神と対峙しているのは、息も絶え絶えな銀の鎧の青年と、真っ白な着物を自らの血で紅く染めた、蛮族の英雄だった。
鎧姿の青年も、かつてこちらの過去を視たらしいことから『超える力』を有しているのは察していた。だが、それがあるというだけでは、隣に立つ英雄との戦闘経験の差は埋められないらしい。
その英雄すら今や防戦する一方に回されている。おそらく、周囲の人間を守ることだけで手一杯であろうことが、ここにたどり着いた一瞬で分かった。
満身創痍の二人の姿に反して、召喚された蛮神――美神ラクシュミは傷ひとつすらなく、ただただ貼り付けたような笑みをたたえて人々を見下ろしている。
この世界は全て自分のものであると言わんばかりの、傲慢さすら感じさせる瞳が、英雄らの後方で戦う者たちを捉えた。
竪琴を演奏するかのごとき優美な動きで手を翳せば、そこにエーテルが凝縮されていくのが視える。
(――まずい!!)
考えるより先に身体が動いた。咄嗟に蛮神との間に割って入りエーテルを放出すると、ラクシュミの放った光弾が霧散して消えていく。
声も出せないほど驚いた様子の英雄を横に、鎧姿の青年が真っ先に口を開いた。
「あ、アンタは……!」
「手伝ってやるから、始末するぞ……この化け物をな」
いつも着ていた戦装束ではなく、戦うには心もとない軽装で蛮神の前に立っているというのに、気分は凪いだ海のように穏やかだ。
奪うためではない戦いとはこんなにも心持ちが違うものなのかと、生まれて初めて実感した。
――そうやって、蛮神と対峙した日の夜。
牢の外で何やら困惑しているような看守の声がしたかと思えば、鍵の擦れる甲高い音が響く。
見張りに割り当てられた人員は二人であったと記憶しているが、次いでこちらに近づいてきたのは一人分の足音だけ。
その足音がぱたりと止まって、扉の前に何者かが立った気配がする。何かを躊躇うような空気感は、鉄の扉越しにも伝わってきた。
明らかに看守とは違うその雰囲気を訝しんでいると、かちゃかちゃと鍵を何度か差し直す音が聞こえる。帝国の人間が口封じにでもやってきたか、と身構えたものの、それにしては随分不慣れな手付きだ。
一日に二度もこの牢を開ける者がいるとは、今日はいったい何なんだ……身構えつつも黙っていると、がちゃりと錠前が外れる。
「……こ、こんばんはー…………」
錆びついた、重く冷たい牢の扉を開けてなんとも申し訳なさそうなそぶりで入ってきたのは、かつて敵対し、今日肩を並べたばかりの、神狩りの英雄だった。
見れば頬には真新しいガーゼが当てられており、袖口から覗く腕にも真っ白な包帯が巻かれているのが逆光でも分かる。
ラクシュミとの戦いの場で、仲間をテンパード化から守るべく傷だらけになっていた姿は、今でも目に焼き付いていた。
そんな身を引きずってまで何をしに来たのか。そう思って、皮肉をぶつけてやる。
「何だ。都合よく私を使っておいて、次は用済みだと殺しに来たか?」
「ち、違う! そうじゃなくて、その……」
慌てふためき言い淀むさまは、とても帝国からアラミゴとドマを奪還した立役者とは思えない。何をそんなに言葉を選ぶのか、と言ってやろうとして、耳を疑う言葉が飛び込んできた。
「今日は、一緒に戦ってくれてありがとう、って……どうしても言いたくて、無理言って入らせてもらったんだ。あ、解放軍のみんなには内緒でね」
「…………は」
「敵対してた奴なんかと本当は喋りたくもないだろうけど……ごめん、さっきはすごく嬉しかったから」
「ま、待て!! それだけか? それを伝えるためだけにここへ来たのか?」
「そうだけど……」
彼のきょとんとした表情にため息が出た。『解放者殿』が聞いて呆れる。
いくらリセに頼まれて助けに入ったとは言えどもこちらは罪人で、さらに言えば彼の仲間を殺した側でもある。
そんな相手にわざわざ謝意を伝えに来るなど、よほどの物好きか、もしくは救いようのない馬鹿だと思った。
「お前……元帝国兵の罪人と英雄が秘密裏に会っていたことがバレたらどうするんだ?
私が言うのもなんだが、面子に関わるだろう」
「そこはその、ほら……お金をちょっと」
ね? と言いながら牢の外を見やる。つまり英雄が直々に、看守に賄賂を渡してまで罪人へ会いにきたということか。
ひどい頭痛がしたのは、超越者たる力の副作用とは違う原因だろう。
しかしなるほど、とも思った。英雄から直々に金を積まれれば断れる者はいまい。
もし仮にその情報が漏れたとしても出どころは看守二人に限られるし、秘密裏に処分することも容易いだろう。ふわふわとした雰囲気に反して、意外と地に足がついていると感じる。
「解放者殿は政治的な立ち回りにも明るいのか?」
「ちょっと世渡りのうまい仲間が多いだけだよ」
俺はからっきしだけどね、と困ったように笑う姿からは、全く毒気を感じない。
善という概念が人の形になったとしたら、きっとこいつの姿をしている。
「もしあの場でアラミゴの人たちがあなたを非難するようなことがあったら、俺はきっと駄々こねて暴れてたよ」
「……冗談だろう?」
「ほんとだよ! だって蛮神と戦ってくれたんだ、蛮神相手にあれだけの人数で戦えるなんて、信じられなくって……
アレンヴァルドも頑張ってくれたけど、きっと二人じゃ無理だった」
アレンヴァルドとはあの銀の鎧の青年か、と肩で息をしていた後ろ姿を思い出す。確かにあの様子ではすぐに限界が来ていただろう。
現に自分が割って入らなければ、あの場にいた人間は全員ラクシュミのテンパードにされていたはずだ。
だが、それにしても。
「お前は”あれだけの人数”と言うがな、私も含めてたった三人だろう。
それにお前の実力を考えれば、私など到底戦力にカウントされないと思うが?」
「……だって、今までほとんど一人で倒してきたからなあ。
そう考えたら蛮神相手に戦える人が三人も居るのって凄いでしょ? テンパードにならない、って本当に貴重でさ」
苦笑しながら語る姿に思わず絶句した。神狩りを一人で成し得てきたという話など、誇張された噂だと思っていたが。
「だから、どうしてもお礼を言いたかったし、伝えたいこともあったからここに来たんだけどね」
「伝えたいこと?」
「………どうか、生きて、と。前から死ぬことを望んでいたあなたを見てたら、これだけは言わなきゃと思って」
「――――――」
こいつは何を言っているんだ。
自分は、今回たまたま加勢に入って共闘しただけの人間だ。
これまで散々彼の仲間も、彼が守ろうとするアラミゴの人間も傷つけ殺した相手を前にして、それでも生きてほしいのだという。
「私は、元帝国兵だ」
「知ってる」
「そもそも蛮神と戦えたのだって、お前の仲間を実験材料にして力を得たからだ」
「……うん」
「そして私はお前たちの仲間を殺し、自分の部下すら見殺しにした、最悪の女だ」
「…………」
「それでも、お前は……こんなところにまで来て、私に生きろと言うのか……」
「……何かに押しつぶされそうになったとき、誰かが”生きて”と言ってくれるだけで、頑張れるのを知ってるから」
俺なんかに言われてもって感じだろうけど、と微笑む彼の姿は噂に聞く英雄ではなく、ひとりの青年のそれだった。
――常に身を危険に晒し、裏切られては喪い、悲しみを癒す暇もなく選択を迫られ続けた彼の記憶を視たことがある。
その苦しみを抱いてなお、どうして歩みを止めずに居られるのか、という問いに対する答えの意味が、いまようやく分かった気がした。
「あなたは悪くない、って言われるのが一番辛いことは知ってるつもり。
自分を責め続けてるとさ、いっそなにか、自分のしたことに名前をつけて、罰してもらった方が楽なんじゃないかとも思うよ」
ちょっと過去を視たくらいであなたのことを理解できてるとは思わないけど、と付け加えて、青年は淡々と語る。
「でもきっと、この罪を背負って生き続けることが贖いなんだと思う。
人に許された命はひとつしかないのに、俺は……俺たちは沢山の命を奪って、使って生きてる。
だからその命のぶんだけ歩き続けて――生きていかなきゃ、だめなんだ」
……なんて、苦しそうな顔をするのか。
初めて戦場で相見えた際にも、似たような表情をしていたのを思い出す。
当時は戦地にも関わらず浮かない顔をしていたことに苛立ちを覚えたものだが、ここにきてやっと得心がいった。
(そうか、こいつは)
己の存在が、数々の死体の上に成り立っていることを、恐らく自覚しているのだ。
人が”英雄”を持ち上げるほどに、背負う命は重くなる。自分の意志とは関係なく、屍は積みあがっていく一方だ。
――何かを守りたいから戦っているのに、戦うほどに何かを喪う。
自分とて似たような道を進んできた自覚はあるが、英雄と呼ばれるまでに至った彼の道はその比ではないだろう。
それでも歩き続けるという彼の言葉は、まるで必死に自分自身に言い聞かせているようで、どうしようもない感情に襲われた。
「……そうやって歩き続けて、お前は一体どこへ行く?」
「俺が望まれる場所なら、どこへでも」
迷いのない瞳だった。
その強さが、眩しさが羨ましいと思うと同時に、なんて哀れなのだろうとも思った。
「願われ乞われ縋られて、人に望まれるまま動く。そんなものはまるで……蛮神みたいじゃないか」
あまりにも他人のために生きようとする姿に、思わずそう言ってしまった。
驚いたように目を見開く彼に、流石に失言が過ぎたかと取り繕おうとして、しかし彼が小さく笑ったことで続く言葉を呑み込んだ。
「……本当に、俺が神様だったら良かったのにね」
それは自嘲するような響きではなかった。ただ少し寂しげに笑って、それだけだった。
こちらが彼を蛮神と喩えたくせにどう返すべきか適切な答えを持てず、二人の間には沈黙のみが座する。
その静けさを打ち開いたのは、自分ではなく彼だった。
「そうだ、もう行くね! 流石にこれだけ長居したら変に思われそうだし……」
「ま、待て! ひとつだけ聞かせろ!」
踵を返そうとする彼を咄嗟に引き留めた。きょとんと不思議そうな顔を見せる姿に、言うべきか迷って口ごもる。
いま目の前にいるのは、あのゼノス・イェー・ガルヴァスの膝をつかせた唯一の人間だ。
人のためだけに生きているような彼が、戦うためだけに生きたあの化け物と相対し、斃し、何を感じたのか、聞いてみたくなったのだ。
「お前の目に、あのお方は……ゼノス様は、一体どういう人間に見えた?」
柔和な印象のある目元が、一瞬だけ鋭い光を見せる。冷ややかに細められた金の瞳は、空に輝く月を連想させた。
「……何もないひと」
高くもなく低すぎない、澄み切った声が牢の中に響く。
どういうことだ、とその言葉の真意を訊こうとするも、英雄は既に扉に手を掛けていた。
「……今日はありがとう、おやすみなさい。どうかあなたの眠りの中に、優しい夢がありますように」
「――、」
詰まった言葉は音になることもなく、吐息となって消えていく。
牢の扉を閉める直前、柔らかく微笑んだ彼の瞳から、先ほど感じた冷たさは嘘のように消えていた。
(……何もない、か)
――権力や実力、そのすべてを持ちながらただ退屈そうに世を眺めていた者がいた。
狩りこそを人に与えられた特権として、命を燃やすことを至上の喜びとした獣は、戦いに満足しながら死んでいったという。
――異能と加護、人が羨む力を持ちながら、苦しそうに戦地へと降り立つ者がいた。
喪失に怯え、戦いを厭い、それでも守るために在ることを自身の使命とした男は、人の命を背負いながら生き続けるという。
彼とゼノスの生き方はあまりにも真逆だったが、ある意味で近しいようにも感じた。本来人間とは自身の生存をかけて戦う生き物だが、あの二人だけは違うのだ。
英雄はゼノスを指して「何もない」と言っていた。しかし側から見れば他人のためだけに生きる彼の方が、よほど空っぽな存在ではないか。
望まれるがままに歩み続ける彼の旅路の果てに、何か残るものはあるのだろうか?
そうしていつか、その生に終わりが訪れたとき、彼はその命をもって何を遺すのだろうか。
(そして、私は……)
同じ力を持ちながら、彼にもゼノスのようにもなれなかった自分は、果たしてどう在るべきなのだろうか。
外からの光が再び遮られた牢の中で独り立ち尽くす。
目の前に広がる闇は、何も答えを返してくれなかった。